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日記786

 

 

神田橋條治『改訂 精神科養生のコツ』(岩崎学術出版社)を読んでいた。神田橋先生はオカルトも辞さない方なので、そのへんは私的なリテラシーの許容範囲に照らして留保を置きつつ。参考になりそうなところは参考にする。「自己流」をつくってほしいと、あとがきにもある通り。

 

この本では、いろいろな方法を示しましたが、どうぞ、皆さんそれぞれ、自分に合うように工夫し、変えて、役立ててください。自分の痛みは自分にしか味わえない、自分の苦しみは自分にしか分からない、苦しさから脱け出せたときの喜びは言葉に表せない、のです。この本に示していることはすべて、あなたが自己流の養生法を作ってゆかれる際の、ヒントや目の付け所を示しているにすぎません。p.227

 

この本にかぎらず、あらゆる書物はヒントを示すものだと思う。リテラシーとは答えを見つけ出す能力ではなく、ヒントを咀嚼する能力のこと。ヒントは広く共有されうる。しかし答えは「自分にしか分からない」ひとりきりの、寄る辺ないものではないだろうか。

個人的に気になったのは、うつ病と「数値目標」との関連。これは『座談会 うつ病治療 ―現場の工夫より―』(メディカルレビュー社)でも話題にあがっていた。そっちを引こう。

 

数値目標に達しなかった人の中には、「関係ない」とか言って努力しない人もいるのよ。そういう人はうつ病なんかにならないんだね。数値というものはこちらの帰属意識によって初めて力を持ってくるものだから、帰属意識のない人はもちろん数値目標に達しない。むしろ、数値目標をクリアして“うつ”になる人が多いんでしょうね。空しくなってね。p.181

 

「数値というものはこちらの帰属意識によって初めて力を持ってくる」。射程の広い卓見だと思う。応用が効く。たとえば科学者に不信感を抱く人がいたとして、そんな人に科学的な数値を「証拠」として示しても無力なのね。そもそも科学への帰属意識がないから。

数値は絶対的なものではない。一部の集団内でうんぬんされる指標だ。それをどう受け取るかは「データの読み方」以前に、帰属意識に大きく左右される。

だから人に何かを説明するときには、相手の帰属意識をまず考慮したほうがきっと伝わりやすい。その人がどのような集団の成員として目の前にいるのか。相手の帰属からロジックを立ち上げる。人の思考は多かれ少なかれ何らかの共同体に縛られている。これはふつうに人と話をするうえでも念頭にあるといい。

うつ病に親和的な人は「帰属」に真摯な傾向があるらしい。だとすると、「相手の帰属意識をまず考慮したほうが」なんて考えちゃうわたしはようするに、うつ性格者そのもの。恥ずかしいほどわかりやすい。

比喩的にいえば、植物的な性格なのだと思う。種が落ちた場所にぐぐっと根を張るイメージ。それだけに、「離れる」ことで病が発現しやすいのだとか。根が絶たれた途端に枯れてしまう。

 


「どうしてみんないなくなっちゃうんだろう」。こんなこどもっぽい問いがわたしのなかにはずっとある。「いる」とか「いない」とか、それっていったいどういうことなのか。傍から見れば不必要で非生産的な答えのない問いにこだわってしまう。こどもの問いが自分の在り方に根を下ろして離れない。

基本的におんなじことばかり考える。そこから派生的に思考がにょきにょき枝分かれする。植物っぽい精神性。「うつ病質は植物っぽい」。この連想が『精神科養生のコツ』から得たいちばんの収穫だった。本に書かれてはいない。ふと浮かんだ連想。

それと。
書き留めておきたいのは「あとがき」の一文。


人生の最後の瞬間、納得と感謝と愛とがありますように。


納得、感謝、そして愛。これらはたぶん人生の最後を飾るものとしてある。最後にしかないんだと思う。いや、わからない。ありますように。最後くらい。あるといい。

 


 

5月6日(木)

また警察に囲まれている人を見た。若い男性がひとりで何かを喚いていた。アツいなーと思った。そこを横切った先のスーパーでは、半ケツ出てる超絶ミニスカート姿の方がいた。性別不詳。見た感じ、わりとご高齢。たしかにきょうは夏みたいで、ケツのひとつも出したくなるような日和だった。わが町はアツい。

終日よく晴れて、初夏を感じた。外を歩くだけで気持ちがいい。深く呼吸をした。




コメント

anna さんのコメント…
数値目標はこちらの帰属意識によって初めて力を持ってくるって納得です。仕事で管理職の人からいろいろ数値の目標を言われますが、こちらが「へ~、ふ~ん」状態なのは帰属意識がないからなんですね。なるほどです。

よく職務質問にであいますね。やっぱ変な人が東京多いんかなあ。超絶ミニスカートとか履いたことないな。
nagata_tetsurou さんの投稿…
考えてみればあたりまえのことなんですよね。でも、あたりまえのことほど盲点だったり忘れがちだったり。無意識に染み込んでいますから。わたしの場合、帰属より個別の義理をたいせつにする傾向があります。極端な話、義理で生きているような人間です。ははは。

緊急事態宣言が出てから警察の見回りが増えたような気がして、あくまで体感ですが、そのせいで職質も増えているのかもしれません。あまり人と人とが干渉しあわない街では、変な人が変な人のままでいやすいのだと思います。わたしもふくめて。笑

それも一長一短ありますね。