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日記799


美恵子 ブック・ガイドってものは役に立ったことある? まあ、「文藝」のもそうだし、「マリ・クレール」のも同しだけど、すくなくとも、お金出して、「ブック・ガイド」とか「読書特集」なんて買わないよね。

久美子 うーん、やっぱり買わない。送ってもらえば読むけどね。あれは、誰がどういう本を選んでいるかってのを読んで、場合によっては嘲笑するものでもあるわけでしょう? 映画のベスト・テンと同じで(笑)。p.62


『文藝別冊 ブック・ガイド’89』(河出書房新社)より。金井久美子・金井美恵子姉妹の対談。ブックオフでこのページをちらっと読み、吹き出してしまった。まさにいま「ブック・ガイド」と名のつく本を手にとった人へ、この仕打ち。「買わないよね」「やっぱり買わない」って。思わず買ってしまう。安いし。200円。

88年に出版されたブック・ガイド。中身は多岐にわたって充実している。ただ、副題がすこし恥ずかしい。「美的現代へのライフ・マニュアル」。び、びてきげんだい!なにそれ。

 

 音楽、幸福の陶酔、神話、時間の刻まれた顔、ある黄昏とある街。ボルヘスは、これらいまだ生みだされない啓示の緊迫性を「美的現実」という言葉で表現しています。私たちにとって現実とは、出会うことのできないものの比喩であるならば、美的現実とは、思い描かれるたびに出会いの不在を垣間見る、黄昏の時間ではないでしょうか。


「はじめに」。ボルヘスの「美的現実」からきているそうな。

ともあれ。わたしはブック・ガイドのたぐいがけっこう好き。他人の本棚を覗く感覚にちかい。もっと一般化すると、他人のスマホのホーム画面を覗く感覚にもちかい。へえ~こんなアプリがあるんだ~みたいな。同様に、へえ~こんな本があるんだ~と。そしてどちらも、持ち主のプライバシーに触れる。

覗き趣味みたいな側面が強く、タチが悪い。しかしSNSを長く使っていると、積極的に見せたい人も多いのだとわかる。このへんの心理的な機微は人によって差がある。わたしは本棚もスマホの画面も親しい人にしか見せない。

「親しみ」がキーワードかもしれない。ブック・ガイドには、それぞれの選ぶ「親しみ」が記されている。個人個人の体系がおもしろい。「こんなふうに並べるんだ~」という参考にもなる。これもスマホのホーム画面とおなじ。

パラパラと読んだなかでひとつ、ぐっとくる「親しみ」のかたちがあった。映画監督、大林宣彦の選ぶ「愛すべき一冊の書物」。


『草の花』(福永武彦、新潮文庫) 10代で出会い、ほとんど自分の為に書かれた小説だと信じた。18歳で上京し最初に訪ねたのが、主人公が永遠に愛した少女の住む大森の高台だった。それが仮空のものと知って訪れたのは愛とは常に自らの想いの中にのみ棲み、現実の少女はいつでも不在であることを確認したかったから。その確認の許にぼくはいまも映画をつくり続けている。福永さんの死後再読し、この作者もまたその初心の通りに生き抜いたことに感動を新たにした。p.108


愛すべき一冊の書物は、愛すべきひとりの人間をつくる。この短文はそれを余すところなくつたえている。なんて愛しい人だろう。



6月1日(火)

気づけば6月。マスクを忘れて家を出てしまい、コンビニで買った。カバンの中に常備しておこう。不織布の白いマスクをつけると、両端がへんに余る。さいきん気づいた。つまり、サイズが顔に合わない。細面なせいか。気づくと気になる。

紫陽花がきれいな季節。しかしよく見ると毒々しい。じっさい、毒のある個体も多く存在するという。紫陽花によるペットの死亡事故も耳にする。

この季節になるとなぜか、水虫がぶり返す。そういうサイクルになっているのだろう。季語としては晩夏なのに。薬を塗って寝る。



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