6月4日(金)
また頭痛。2日連続はめずらしい。また15時過ぎに治る。きっちりした体。率直な話、生きるべきか死ぬべきか、みたいなこっ恥ずかしい問いが生まれてこの方クリアにならないんだなーと感じた。雨をしのぎながら。手前の手前の手前の手前でえんえん迷っている。生きていることはあたりまえではない。動物園に行きたいと思った。
先月、緊急事態宣言で図書館が閉じていたとき、「図書館がなければとっくの昔に死んでたと思う」といういつかの誰かのtweetを思い出していた。本を借りるたびに、「これを返すまで死ねない」と思う。シオランのことばを地で行く自分がおかしい。「一冊の本は、延期された自殺だ」。生きることは、借りることに等しいのではないか。この世にわたしのものは、ひとつとしてない。
決着をつけないで、保留している生き方も、がらくたばかりたまってしまってうっとうしいけれど、ただ保留だけしてうじうじしていればいいというわけじゃないぞ。決着をつけようとしない覚悟、保留以外の何物にも手を出さない覚悟、これが必要で、そうでなければ、一つの態度にはなりえないということ――。
色川武大『私の旧約聖書』(中公文庫、p.161)。いま適当に手にした本の、適当にひらいたページから数行を借りた。いい話。これぞ腰の据わった人物。という気がする。決着をつけたくなる心性は、どうしようもなく弱い。何もかも保留にして、いまはただ、動物園に行こうと思う。
コメント
久しぶりに行ってみようかなあ。