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日記802


 

6月6日(日) 

横浜、野毛山動物園へ。長年、地元の人に愛される動物園。誰でも無料で入園できる。払いたければ募金もできる。個人的に500円払って、カメの写真ばかり撮っていた。

 



 生きとし生けるものは、肥ることもあるし痩せるときもある。かめも痩せる。あんな固い甲羅で被われていて、どうして痩せることができるかと思われるだろうが、あれでやはり栄養状態がよくなければ痩せる。どこがしなびる? おなかのほうの甲羅が内側へ凹んでしまうのだそうだ。背中の甲羅はいくら体力減少しても、凹むに凹めないのだろうと察しられて哀れである。おなかのほうだってあんな固いものが窪むのは、よくよく中身が痩せ縮めばこそである。鎧の凹む痩せかたをするとはいたましい話だが、誰もかめが痩せることなど考えもつかないのである。
 かめの痩せが知られていないと同様に、「かめのたてる音」を知っているかと問われて答えられる人は少ない。かめは音をたてて歩く。甲羅の突先が石なり床なりに当たるのだ。一ト足ごとに、ゴトン、ガタンというふうに音をたてる。兎との駆けっこで知られているように足はのろい。それが一ト足ごとにゴトン、ガタンとやるから、夜なかに襖をへだてて聞いたりすると、てっきり泥棒とおもう。
 行ってみるとぴたりと音は止まって、人のいる気配はない。電気をつけて見れば異常はないから、かえってぞっと気味わるい。そしてものかげにかめがいて、――こいつおどろかしやがった、というのだそうな。ユーモアもあるが妖怪味もある。砂の上を歩けば大きなかめならはっきり足跡――ではない、甲羅のお尻あとが残っているという。

 

幸田文『動物のぞき』(新潮文庫、pp.87-88)。かめも痩せる。この短い言い切りがたまらない。かめも痩せる。ちょっと癖になってしまう。これ以上なく簡潔でありながら、著者自信の驚きが十全につたわる語り口。「なんと、かめも痩せるのだ!」などと野暮ったく書かない。かめも痩せる。これでじゅうぶん。なにより品があって心地よい。「かめ」と平仮名にひらくところもいい。かめ。

わたしは「かめも痩せる」と聞いても、とくに驚かない。そら痩せるでしょう、と思う。しかし幸田文は驚いている。それもたのしそうに。「かめのたてる音」もそうだ。ご指摘のとおり、知らなかった。「痩せる」についても、「どこがしなびる?」まで考えたことはない。

「知る/知らない」は「驚ける/驚けない」とほとんどイコールなのではないか。驚きがなければ知ろうとも思えない。スルーしてしまう。日頃から感嘆符と疑問符をたいせつにする人は、どんどん物知りになる。だから「知識人」は「驚き人」と言い換えても、たぶん差し支えない。たぶん。

 

 


 私はわにの寝そべっている姿を見ると、少女のときの晴れ着の感覚をおもいだす。
 いまはもう子供はみな洋服で身軽にしているが、私の頃はあらたまったところへ連れて行かれるときなど、二枚重ねの着物に、厚板の帯をでこでこと矢の字に背負わされた。からだが一本の椿みたいに、まるで不自由にしゃちこばったものだったが、わにのじいっとしているのを見ると、よそいきのいい着物のかなしさと具合悪さをおもいだすのである。厚くて固いものを着せられれば、選ぶこともできないし、それでいて人に「まあ、きれいだこと」と云われる嬉しさと、てれくささがある。
 わにもきっと私の子供のときみたいな気がしているだろうと同情する。だからあんなふうに、おれの知ったことじゃない、という顔をして寝ているのだ。私はわにの衣装を剥がして作ったものを、身につけ得ないのである。

 

前掲『動物のぞき』(p.89)より。わにの質感と、子供の頃の着物の質感を重ねて語る。「わに」と「私」が過去を通じてないまぜになる。わにが私で私がわにで。文章にしなければ語り継がれることなく永遠に喪われてしまったであろう、無二の感覚。



カメ以外はあまり撮らなかった。とにかくカメに夢中だった。なぜだろう。自分でもわからない。そういう日和だったのだろう。客入りはそこそこ。カップルと家族連れがほとんど。アリクイの檻に入りたいとゴネるこどもがいた。お父さんが「たいへんなことになるよ」と説得していた。

こどもも見ているとおもしろい。ヘビと戦うふりをする少年がいたり、サルの鳴き真似をする少女がいたり。おとなもおもしろい。小太りのおじさんが「BLUE」と胸に大きくプリントされたベージュ色のTシャツを着ていた。「ベージュじゃん」と思った。

よく見さえすれば、なんでもおもしろいのだろう。人間もいちおう動物だし。失礼な見方かもしれないけれど。「自己家畜化」という概念を思い出す。人間は自分で自分を家畜化しているらしい。おもしろい概念。個人的に「メタ認知の人類学的言い換え」と解釈している。

動物のぞきはおもしろい。人間もふくめ。それにしても、いいタイトル。動物のぞき。「のぞき」には、すこしやましいニュアンスがふくまれている。相手に気づかれないニュアンスというか、一方的な視線はどこかやましい。ちょっといやらしい。こうした微妙なことば選びに、幸田文の品の水準がよくあらわれている。なんであれ「一方的」は品がない。

先の例でいえば「なんと、かめも痩せるのだ!」は、一方的な驚き。ちと下品。ひとつ引いて「かめも痩せる」とちいさく述べることで、読者の入る余地が生まれる。「品の良さ」は双方向的で、「下品さ」は一方的なのだと思う。私的な感覚として。一方的な勢いのある表現もそれはそれで嫌いではない。漫☆画太郎みたいなの。世界を塗りつぶしてくれる。




コメント

anna さんのコメント…
お~。動物園に行くって話だったんで、モフモフした哺乳類の画像を予想してましたが、カメのオンパレードでびっくりです。カメって爬虫類だったっけ?両生類?
カメって甲羅に入ってるから痩せててもわかんないですね。
nagata_tetsurou さんの投稿…
カメは爬虫類です。爬虫類館のなかにたくさんいました。以前、「被写体を真ん中に置く写真が多い」とご指摘くださいましたね。たしかに、いわゆる日の丸構図が多い。でも、動きまわる生きものを撮るときは自然と真ん中を外すほうへ意識が向いて、おもしろいなと感じました。動いていると、標本のように撮ることができない。ワニはぜんぜん動かないから真ん中に合わせ放題でした。

痩せていても太っていても、カメは体型がわかりずらい。デブだのヤセだのと評価されることのない、ある意味では理想のフォルムですね。
nagata_tetsurou さんの投稿…
づらい、でした。