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日記807

 

6月18日(金)

今朝は比較的、調子がよかった。スキップしながら職場へ向かうほど。焼酎風呂のおかげだろうか。知らんけど。疲労が溜まるとわたしの場合、肌が荒れるためすぐわかる。人から「感情がすぐ顔に出る」とも言われる。ごまかしがきかない呪いにかかっている。

帰路。道端で年配のおじさんがワンマンショーを繰り広げていた。陰謀論の大演説。自然災害が起こった過去の日付を足したり引いたりしながら悪魔の数字がどーのこーのおっしゃる。事件や事故もぜんぶ悪魔の数字が絡んどるんやと。信じないまでも、聞いてるとしょうじきおもしろい。「な、なんだってー!!」と叫びたくなる。陰謀論は楽しい。

一方で、むかーし別冊宝島の文庫で読んだ山形浩生氏の文章を思い出す。

 

 やはり、まず書いておくべきでしょう。ぼくはあなたの理屈がさっぱりわからない。いや、わかんないというわけではない。逆にわかりすぎるくらいわかる、というのが正確だな。ぼくだけじゃない。世間一般から見ても同じでしょう。あなたの展開なさっているような議論を、通常は「我田引水」ともうします。

『愛の奇蹟』に見るインターネット情報「受信」不全症 (別冊宝島356 『実録! サイコさんからの手紙』 1998年1月)

 

陰謀論とだいたい似たような思考を繰り広げる人に対して、こうお書きになっている。「我田引水」と。ほんとうに、この四字熟語に尽きると思う。陰謀論的な話は、吸引力が半端ない。自分の思い通りに出来事を関連づけてくって、気持ちがいいから。

山形氏はこうした問題の背景に、「受信」の不在を見る。

 

 つまりインターネットが(学ぶつもりのある人には)教えてくれることは、コミュニケーションの双方向性という、本当はあたりまえであるべきことなのです。情報「発信」は、簡単なことです。むずかしいのは、それを受信してもらうことなのです。そしてそのためには、発信する価値のある情報生産力を持つと同時に、自分もまた受信する能力をもっていなくてはならないのです。

同上より

 

相手に受信してもらい、さらに自分も受信すること。このブログもかなり一方的なノリなので、耳の痛いご指摘。ただ、読者は漠然と想定する。先生に見てもらうような気持ちにちかい。半ば試験だと思ってる。具体的な知人のときもある。「あの人が読んでくれたらいいな」という理想に寄せるときもある。コメントをくださる方のことも考える。ぜんぜん考えないときもある。気分によって変わる……。 


加藤典洋が晩年に書いた、「もう一人の自分をもつこと」を思い出した。『大きな字で書くこと』(岩波書店)に収録されている。わたしが読んだのは、高橋源一郎の『「読む」って、どんなこと?』(NHK出版)に引用されていたもの。きょう図書館で借りた本。


 いまは、病気をして、社会から隔絶され、人間にとって、何が一番大切なことなのか、というようなことを、考える。
 浮かんでくるのは自分がキャッチボールをしているシーンだ。
 ボールは、一人からもう一人へ、いったりきたりしている。だんだん日が傾いて、二人の影も長くなりながら、彼らのまわりをめぐる。キャッチボールは続く。
 自分のなかに二つの場所をもつこと。二人の感情をもつこと。その大切さ。それが、いま私が痛感していることである。
 

一人と一人。あいだをボールがめぐる。何より大切なのは、人と人のあいだをボールがめぐるということではないだろうか。一人からもう一人へ。場所と感情を広く、いったりきたりできること。そのために、べつの地点へ、ボールを手放しつづけること。







動画をつくりました。わたしが歌っています。うまくはないけれど。たまには歌いたいじゃない。曲はワルイコというふたり組の、「プカプカ」。とてもかわいい歌詞です。サビで「才能ない私」と言ってしまう。でも「ない」の立証はむしろ、むずかしい。消極的事実を知ろうと試みる、じつはものすごく挑戦的な歌詞なのです。


もとの曲も載せておきます。





ついでにプカプカで思い出すのは、ハンバートハンバートのカバー曲です。

 

 

 

 

 

もとの曲は、西岡恭蔵の「プカプカ」。72年12月にリリースされたフォークソング。わたしはハンバートハンバート経由で知りました。

こちらもいい曲です。

 


コメント

anna さんのコメント…
我田引水ってよく聞く四文字熟語ですが、意味はいまいち分かってませんでした。自分に都合よく理屈付けすることなんですねー。でも、考えると数式で表されないようなほとんどの論理って、基本、我田引水的なところがあるんじゃないかなあと思ってしまいました。

私も肌荒れしやすいんですが、さすがに焼酎を常備していないので、ときどきツムラのくすり湯って入浴剤使います。けっこういいです。
nagata_tetsurou さんの投稿…
おっしゃるとおりですね。基本的に、人の認知は我田引水です。見たいものを見るようにできています。だから、先生みたいな緊張感をもたらす存在を自分のなかに保っておけるといいなーと感じます。人混みに流されて変わってゆくわたしをときどき遠くで叱ってくれるような。もうひとり。

うちも焼酎はなくて、やっすいのを入浴剤用にわざわざ買ったんです。効果は不明ですが、なくなるまで試します。くすり湯もいいですね、使ったことあります。