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日記818


7月11日(日)

書店で『宇宙はYESしか言わない』という本を見かけて、「まじかー」と思った。NOと言えない宇宙。たまには断ってもええんよ。宇宙にもなんやかやあるやろうし。無理したぁアカン。部長に言うといたるから。きょうぐらいやめとき。太陽とかもそんな昇る必要ないて。ゆっくりしとけ。日曜日やし。暑いし。と思いながら通り過ぎる。

きのう、久々に付き合いで居酒屋へ行った。政治家に対して「あいつら全員、穴掘って埋めちまえ!」と叫ぶ知らない人がいて、アツかった。土建屋さんだろうか。居酒屋の店主もあまり穏やかではないごようすだった。駆け込み需要かしらんけど、かなり賑わっていた。

きょうは知り合いから出産の報告と、母方の親類から祖父が亡くなった報告をほぼ同時に受け取った。そんな日もある。電話でそれぞれにお祝いとお悔やみを告げる。いつの日も、自分にとって何の変哲もない一日と、誰かにとっての決定的な一日が何ら矛盾なく同居している。逆もまた然り。わたしが死んでも、この世界は何の変哲もなくつづくだろう。たぶん。

「変哲のなさ」だけが希望だと思う。素知らぬ顔で日々をつづけていてほしい。何があっても。『宇宙はYESしか言わない』ってそういう話かなー。しらんけど。

親類が亡くなりはじめ、同年代が家族をつくりはじめる。20代後半~30代前半は、そういう年代なんだろう。男女かぎらず、独身だと焦りだす人がいる。わたしは独身だけど、なんとも思わない。関係ない。それぞれに「よい人生を」って感じだ。おめでとう、よい人生を。 

一般に誕生は喜ばしく、死別は悲痛なものとされている。わたしにとっては、どちらもかなしい。自分の感情の底にはまず、逃れがたい「かなしみ」がある。その「かなしみ」が喜怒哀楽に枝分かれする。かなしい喜び。かなしい怒り。かなしいかなしみ。かなしい楽しみ。かなしい人間だな……。

良くいえば、「慈悲」にもちかいのかもしれない。いや、そんな立派なものではないか。単にかなしい。根底にかなしみがないと、感情が起動しない気がする。すべての感情の素として最初に、かなしみがある。赤ちゃんが生まれたときに泣いてる、あれだ。と考えるとふつうの話かもしれない。

それにしても暑い。きのうはじめて家で冷房をつけた。7月10日は冷房記念日。蝉の鳴き声も散発的に聞こえた。いよいよ夏らしい。

 

 

コメント

anna さんのコメント…
冒頭の文章はなんだか関西弁っぽいです。違うか、京都弁っぽいのかなあ。
京都も暑いです。てか、突然ゲリラ大雨が降ってくるので暑い上にびしょ濡れでたまんないです。

ひとつ前の日記に、全否定せずに「うーん。。。」って言ってほんわかと否定するってのは私もよく使います。
感情というか会話の潤滑剤ですよね。

あしたはお世話になった人が仕事辞めるそうなので、花を買います。雨降らないといいなあ。

nagata_tetsurou さんの投稿…
エセ関西弁です。あたまのなかでしゃべるとき、たまに関西弁になります。なぜか。口に出したことはありません。あたまのなかに小さな関西人がいるみたいです。

お暑ぅございますね。天気、こちらも急にじゃんじゃん降り出します。タイミングがわからなくておそろしい。大雑把な予報はでるけど、局地的に降る雨のこまかな予報はでませんね。夏ってこんなに気むずかしかったっけ?って思います。

うーん、そうですね。うーん。意味のないことばも、意外と重要なはたらきをしてるんですね。縁の下の力持ち的な。間合いをはかるような、距離感の調節ですね。

7月のお別れ、よいお見送りになりますように。祈っています。