スキップしてメイン コンテンツに移動

日記827


オリンピックやってるせいか、街にやたら警官が多い。しかもやたらとあいさつされる。きょう、ほっつき歩いてたら「こんにちは~」と言いながらふたり組の警官が寄ってきて、職務質問か!と身構えるも、なにもされなかった。ただすれちがっていった。ちょっと寂しかった。してよ。そこまできたら。勘違いさせないでよね。

これで今週3回目のあいさつだった。あいさつは安全保障に資するのだと思う。高橋康也の対談集『アリスの国の言葉たち』(新書館)のなかで、大岡信がこんなことを語っていた。


以前、パリで気づいたのは、アパートの階段をのぼっていって、そこの住人とすれ違う。はじめて会うのに必ず向こうは何か一言いって、わきを通りすぎていく。おばあさんでも若い人でも。タクシーの運転手でも「ボンソワ・ムッシュ」とかね。日本ではそういう習慣はほとんどない。大人の世界に挨拶がないから、子供にないのは当然だね。ヨーロッパの場合、パリなんか典型的だけれども、多種多様な人種が一つ町に暮らしていて、それぞれ母国語で話が通じるという認識自体が前提にない。日本人のように国内どこでも同じ言葉が通じるという考え方で、差といっても方言が違う程度の民族とは、言語観が根本的に異なる。もし向こうの人が日本人の流儀で、ブスッと黙ってすれ違ったら、相手との対立感情が激しく出てくる可能性がある。そういう事態を避けるためにも、必然的に挨拶が重視されて、何はともあれ言っておくという、必要に迫られた習慣じゃないですか。pp.299-300

 

「敵意はないよね」という確認。そんな面があいさつにはある。日々のあいさつはもっともコストのかからない安全保障なのよね。言っておくとお互い安心。共同体を平和に保つための、かんたんなシグナル。ネット上でもあいさつの習慣はたいせつだと思う。警官にあいさつされやすい現在の東京は非常時で、すこし異国的なのかもしれない。警官って人を不安にさせる存在だから、あいさつしてくれるとありがたいかな。

 


名前をつけるのは、最後の別れを告げるとき。と前に書いた。名前は出来事を過去にする。過去をつくる。そのためにある。名前を知ることで、それまでのことが過去に落ちつく。自分の名前は、過去の残響。そんなことを考えながら、今夜はサバを焼いた。

 

コメント

anna さんのコメント…
「警官にあいさつされやすい現在の東京は非常時」って言葉だけからは変ですけど、意味がわかると「あ~、なるほど」って納得できます。面白い文章です。

以前住んでた京都の東山区では、お忍びで皇族が天皇家のお墓参りにやってくる時がありましたが、その直前には、警察の私服の人がうじゃうじゃと警戒してて、道端に落ちている新聞紙までひっくり返してチェックしてました。私は職質されたことはありませんが、知り合いの人は、ぶら下げていたコンビニのお弁当が怪しかったのか3人からしばらく尾行されたって言ってました。

暑いです。でも職域接種で高熱がでた私はしばらくガタガタ震えてました。もう熱は下がりましたけどねー。
nagata_tetsurou さんの投稿…
たしかにそこだけ取り出すと、へんですね。「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなかたちで、あいだを抜くとよくわからない。なぞなぞです。

皇族がお忍びでお墓参りなんてイベントがあるの、知りませんでした。わたしはなんてことのない日でもたびたび職質されます。職質体質なのでしょう(「恋愛体質」と似たようなものです)。なにか質問してみたくなる雰囲気なのかしらね。「あいつは謎だ」っていう。ミステリアス・ガールというか。緑色に光ってんのかなー。妖しく。キャッツ・アイみたいに。

暑いですね。新型コロナウィルスのワクチンを「コロワク」と略している人が身近にいて、笑いました。打つとすこし肩の荷が下りるといいますね。わたしはまだです。病み上がり、お大事になさってくださいね。