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日記829



海に行った。なんかいろいろどうでもいいな、と思えてきてよかった。さすが海。ふと外したマスクが風にさらわれて、焦った。転がるマスクと浜辺で追いかけっこした。入れ墨だらけの人がたくさんいる海岸だった。見ていると、ほっとする。わたしもいずれ入れたい。もうちょっと年食ったら。ひまなときよく図案を考える。ずっと考えている。

信号待ちで、軽く踊っている小太りの男性がいた。かわいかった。蝉が鳴きつづけていた。夜中でも、まだ鳴いている。蝉は何か、目標めがけて飛ぶのだろうか。そんなふうには見えない。賭けている。一か八かの賭けで飛びまわる。カナブンの飛び方も賭けだ。やけっぱちにも思える。彼らを見ていると心強い。地面に転がる死屍累々でさえ。

「こんなものだ」と思える。それがうれしい。虫の死骸が転がる夏を愛している。こんなものだ。誰も彼も。

 

風のない夜はしずかで、散歩中の足音がやけに響いた。虫の鳴き声もまた。音をつれて歩く。歩くことしかできない。壁にうつる薄明かりを写真に撮ろうとするも、暗すぎて断念した。公園のベンチでぼーっとしていると、まるでおばけだ。いないにひとしいやつがいる。まったくおばけだ。なんでこんなところにいるのか、自分でも疑問だった。

ちゃんといなくなろうと思う。そのために、しばらくいる。あなたといるとき。ほかのすべてを見失うとき。人間は、「ずれ」の塊ではないか。誰かと会うたびに、記憶がずれこむ。時間はつねに、すこしずつ合わない。拍と拍のあいだを行き来する反響のあいまにわたしたちがいる。

海からの帰り、乗る電車をまちがえ右往左往してしまった。そのままどこへ行ってもいいような気がしたけれど、Suicaの残金を見てすなおに引き返した。車窓から夜が入ってきた。シャワーを浴びて、いまもまだ夜。

「なんかいろいろどうでもいいな」って気持ちはすぐに忘れてしまう。どうでもよくないことが日に日に増える。忘れるたび、海に行かないといけない。こんどこそ忘れないようにしよう。いつもそう思いつつ、忘れる。


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