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日記832


きれいな色がいた。


オオミズアオという蛾の仲間です。これを「蛾」とか「虫」とかカテゴライズした瞬間、人によっては「気持ち悪い」という感想が出てくるんじゃないか。それ以前に、美しい色だとわたしは思う。そして、かわいらしい姿かたち。虫が苦手な人も、虫ではなく単純に色として見ればどうか。羽の描く曲線を、ただ可憐な曲線として見ることはできないのだろうか。そういう小器用な切り分け方はむずかしいのか。「虫は虫」なのか。

きれいな色がいた。着眼点をこんなふうにピックアップすると、すこし詩的だ。ポエジーには、先入観を解きほぐすような面がある。詩は世界の見方を教えてくれる。案内の一種だと思っている。

 

 


8月10日(火)

散歩中に浮かんだこと。

「人に迷惑をかけたくない」という考え方は、もっともポピュラーな現代の死生観だと思う。時代の精神性を物語っている気がする。なるべく人に迷惑をかけずに生きて、なるべく人に迷惑をかけずに死にたい。いい人ばかりの世の中。でも、ちょっと息苦しいかもしれない。迷惑をかけないためには、未然の防止策が要請される。つまり、管理が求められる。ちゃんと管理して、ちゃんと管理されて、管理しあって……。人々は管理したがっているし、されたがってもいるような。新型コロナウィルスがそれに拍車をかけている。「自己管理しすぎる人は孤独になる」と臨床心理士の東畑開人さんがおっしゃっていたのを思い出す。あらゆるところで、孤独ながんばりが奨励されてるんだよね。単なる肌感覚だけど、どうだろう。

わたし自身、「孤独ながんばり」に精を出すメンタリティがすくなからずある。人間はしかし、孤独ではがんばれないようにできている。人に頼ることを意識しよう。

 

夜の公園で『「デブ筋」ながし』という本を読むおじさんがいた。ペンで何かを書き込みながら、ずいぶん熱心に読んでいた。太ったおじさんだった。用事があって立ち寄ったビルのエレベーターで、「SIX PACK ...coming soon」とTシャツに書いてあるおじさんといっしょになった。彼もまた、太っていた。

久々に浜崎あゆみを大音量で流す車を見た。きょうはそんな日。



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