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日記845


 

 熱い事が好きですから、夏が一番好きでした。方角では西が一番好きで書斎を西向きにせよと申した位です。夕焼けがすると大喜びでした。これを見つけますと、直に私や子供を大急ぎで呼ぶのでございます。いつも急いで参るのですが、それでもよく『一分後れました、夕焼け少し駄目となりました。なんぼ気の毒』などと申しました。子供等と一緒に『夕焼け小焼け、明日、天気になーれ』と歌ったり、または歌わせたり致しました。

 

小泉節子「思い出の記」。夫、小泉八雲のこと。

何回も読んでしまう。「熱い事が好きですから、夏が一番好きでした」。好きですから、好きでした。「夕焼けがする」という表現もたまらない。夕焼けがする。夕焼けがしている。空のようすに、思わず誰かを呼びたくなることはあるだろうか。呼べる人はいるだろうか。夕焼けの美しさをまるきり疑わず。 

 

 

9月25日(土)

まだ夏かな。頭の一部がハゲてきた。冗談でなく。一時的なハゲか、不治のハゲか。わからない。そんな夏の終わり。何年も丸坊主を維持しているのでハゲたところで気にならないかと思いきや、すこし焦った。鏡の前で、「ハ……ハゲとる!」と目を剥く。さいきん抜け毛が多かった。でもどうせ坊主なので、まあいいかと思い直す。幸い、そんなに目立たない。坊主でなかったら、もっとダメージが大きかっただろう。

体は変わっていく。月日を重ねるごとに、さまざまな痛みとのお付き合いを強いられる。痛みとは何だろう。これは、「意識とは何だろう」という問いにも近いのかもしれない。なんとなく、直観的にそう思う。痛みがめぐることと、意識がめぐることの近さ。

読書をする時間がほしい。夜の虫の声を真剣に聴く時間も。知人からキーボード(楽器)をもらったが、どうすればいいのかわからない。弾くしかないか。弾いてみるか。せっかくだし。鍵盤が微妙に黄ばんでいた。音は出る。じゃんじゃん出る。ミミレドーミ、ラソー。はじめてのチュウ。むかし(20年以上前)、姉から習った。こういうの、意外とおぼえているのがふしぎでならない。

記憶はなくならないのかもしれない。思い出せないだけで、どっかにある。ちいさく、しぼんでいる。きっかけさえ掴めれば、わーっとふくらむ。そしてまたすぐに、ちいさくなる。空気を送りつづけないといけない。

 

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