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日記847


わたしはこれまでもハゲていたし、これからもずっとハゲていくだけ。自分に言い聞かせておく。ハゲる気しかしねえ。 


前回の記事を上げた日、9月29日は高熱にあえいでいた。2回目ワクチンの副反応。そのことにはいっさい触れていませんが、あえぎながら書いたものです……。翌30日も発熱が尾を引いており、2連休にしていたので助かった。しょうじき、もっかい打てと言われたら二の足を踏んでしまう。副反応つらい。現在、感染者数はなぜか減っている。ウィルスがこのまま、なし崩し的にフェードアウトすることを祈る。

発熱中、いちばんつらかったのは関節痛。そのせいで満足に動けず、ほぼ伏せっていた。動こうとすると、お年寄りのようにゆっくりとするほかない。「お年寄りの体ってこんな感じなんだろうな」と思った。

前回のワクチン接種では悪寒でふるえていたが、今回は熱感があった。あっつくてしょうがない。何十年ぶりか、タオルをおでこに乗っけて寝た。熱は38.5度まで上がった。食欲はあった。しかし食べる動作がしんどくて少食になった。視覚・聴覚・嗅覚の変化はあまり感じなかった。味覚も触覚もふつう。

9月30日の朝、体温は35.7度まで下がった。だいたい平熱は35度台。もう発熱は終わったかと思いきや、だるくて夜にもういちど計ると37.3度まで上がっていた。油断ならない。関節痛も残っていた。

そして10月1日のきょう。仕事へ行く。一日通して、熱は出なかった。ただ体の違和感はぬぐえない。「病み上がり」という感じ。本調子に戻るにはもうすこしかかりそう。「顔がやつれてる」と言われる。確かにゲッソリしたかもしれん。計っていないが、体重も減ったかも。

そういえば、ワクチン接種時の問診が妙だったので記しておこう。1回目はふつうに形式的なやりとりだけで終わった。問題は2回目。おなじように形式的なやりとりをするのみ!と思って入ると、まず挨拶もなく「元気?」と聞かれた。異様になれなれしくて戸惑ってしまう。しかも1回目は白衣のお医者さんらしいおじさんだったが、2回目はジャージのおじさんだった。

「ええ、元気です」と言うと、次に「なんの仕事してるの?」ときた。質問の意図がわからず、「え?」と聞き返してしまう。数秒の沈黙があり、「……こういう関係の仕事です」と適当に答える。するとジャージは、「コロナかかった?」と言う。あとは形式通りだなと踏んで「いいえ」と形式的に言うと、「ほんとに?」と詰めてくる。「はい、かかってません」と繰り返す。そしてジャージはひと息つき、「休みの日はいつ?」と言う。ふたたび意図がわからず、「ん?」と漏らしてしまう。「明日は休みだよね」とジャージは続ける。どうやら「副反応に備えていますか?」という意図の質問だったらしい。と理解して「明日と明後日は休日です」と答える。「ちゃんと休まないとダメだよ!」と、なぜか念を押される。

ざっとこんな感じの問診だった。すこし奇妙な体験をした。すこし。違和感は対面した瞬間からあった。動作のリズムが読めない。わたしが入ってきても、ほとんど体を動かさない人だった。ことば以外の部分でも、最初から最後までちぐはぐしていた。変則的。でも、嫌な感じではなかった。ただ変な感じだった。

わたしの問診が終わった直後、ジャージは接種会場から出ていった。

 


現在はワクチン接種後3日目の夜、まだ体の内側がもぞもぞする。夜になるといっそう気怠い。リラックスするとやられるのか……。寒い冬の日、屋外で体を酷使してようやく温かい場所に入れると思った瞬間、気を失いそうになった経験がある。油断で死ぬ、みたいなことって意外とあるんじゃないか。死因、油断。「フランダースの犬」で、さいごネロが死ぬのも油断だと思う。「安らかに」とはよく言ったもので、おそらく人は心底ほっとすると死ぬ。

生きているだけで体は一定の緊張感を保っている。睡眠時でさえ弛緩しきってはいない。死は弛緩の極みなんだと思っている。格闘家がリング上で意識を失って倒れるときの「ブルン」って感じ、全身の力が抜けて体がプリンみたいに落ちる一瞬の感じ、あの延長線上に死がある。そういうイメージ。死ぬときはみんなプリンみたいになるんやと思います。「ブルン」って。ほんで、徐々に死後硬直が始まる。

いったい何の話?

そういえば、伏せっているとき『続 百鬼園座談』(論創社)を読んでいて、こんなくだりに吹き出してしまった。 


百閒  僕のお医者さんが、一度体重をはかっておけという。僕は銭湯に行きませんしね。家じゃカンカンがないんだ。そこで鹿児島へ行ったときに、貨物係りにたのんで、貨物のカンカンに乗ってしっかりはかって貰った。
 それから家に帰って、鹿児島から帰って来ると千五百キロばかりありますね、その上でそのときの洋服から、ステッキから、ステッキはおいて秤に乗ったけれども、ポケットの諸品全部、サルマタ、眼鏡、一品も残さず風呂敷に包んで、家には棒秤しかありませんから、それではかって、算出しました。つまり風体を鹿児島の目方から差し引いたのです。――ちょっと頭がいいね。(笑)

辰野 それ一体なんの話!?(笑)

百閒 何の話と云う事にすると僕は分らない。(笑)

徳川 なんか大分科学的な話のようでしたがね。(笑)


「辰野」はフランス文学者の辰野隆、「徳川」は活動弁士や漫談家などをしていた徳川夢声。「百閒」は小説家の内田百閒。

鹿児島で服を着たまま体重を計って、家でそのときの所持品の重さを計って、引き算したという科学的なお話。まったくなんの脈絡もなく書かれている。ほんとうに脈絡なく話し始めたのだろう。座談とはこういうものだと感じ入ってしまう。

ほかにも、呉智英と加藤博子の対談本『死と向き合う言葉 先賢たちの死生観に学ぶ』(KKベストセラーズ)を読みながら、こんな部分に同様の感興を覚えた。

 

適菜 エロティシズムの話が、先ほど出ましたけど、性欲がなくなってくると、死に対して、寛容になってくることはあるのでしょうか。
 
 フロイトのいうリビドーとは、根源的な「生への欲望」ということです。余談だけど、山陰の島根県の松江が俺は好きで、何回も行っている。出雲大社のほかにも古い神社があったりしていんですよ。その島根でバスに乗っているとき、ギョッとしたことがあった。レストランリビドーとか、洋菓子リビドーというのが何軒かあるんだよ。それで調べてみたら、戦後、店を始めた人がドイツ文学の先生に、店名について相談した。すると、先生はリビドーがいいと言ったんだって。先生は正しい本来の意味で、人間を根源的に動かしている力という意味でリビドーと付けたんだけどね。でも、一般にはリビドーって性欲って意味に使われるから、洋菓子リビドーには驚くよね。そういうキッチュな部分も含めて、松江は美しくていいところです。もう四、五回行ってます。

 

「性欲がなくなると死に対して寛容になるのか?」の問いから、フロイトのリビドーを経由して「松江は美しくていいところです」とつながる。これこそ、話しことばの妙であろう。人との会話とはこういうものなんだと、へんに勇気づけられる。

書きことばベースで読み解くと「噛み合ってない」となりそうだけれど、会話のリアリティはこういうことの連続だと思う。よくわからん寄り道だらけで、そこが楽しい。

さいきん対談本ばかり読み漁っていることに、いま気がついた。軽いし、読みやすいのだよね。自分の頭の中は、文字のシステマチックな論理と声の散漫な論理が競合しがちで絶えずモヤモヤしている。そんなところにも思い至る。

 

コメント

anna さんのコメント…
あ~、ワクチンの2回目やっぱしんどかったんだ。熱出て大変だったんですね。私とおんなじです。病気で熱出たわけじゃないからなのかなぜか食欲はありますよね。不思議です。
へんなお医者さんに当たったんですね。なんか思うんですけど、お医者さんってくせの強い人が多いような気がします。病院勤めの人はそーでもないけど、私の経験上、特に開業医さんに変わった人が多いような。
nagata_tetsurou さんの投稿…
非常に疲れました。高熱を出すと尾を引きますね。体力を消耗します。しっかり食べて休んで持ち直そうと思う。ヒトの体って、いろいろおもしろいです。生きている不思議に想いを馳せます(笑)。

お医者さんかどうかも怪しいおじさんでした。職業不詳のおじさん。annaさんも、へんなお医者さんに当たった経験がおありなのですね。相性ってありますよね、どうしても。

お医者さんに「くせの強い人」が多いか否かはわかりませんが、職業不詳のおじさんはだいたいクセが強い気がします。わたし自身がクセ強おじさんである可能性も否めないので、人のことはあまり言えないのです。というか……人間に生まれた時点でみんな変異体だと思っています。