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日記874

 

12月31日(金)

年の瀬は人々がすこし反省的になる。そんな束の間が肌に合う。年が明ければ「おめでとう」と、仕切り直して未来に向かう。過去に向いていた思いが転じる。くるりと、鮮やかに。花火なんか上げちゃって。

そのじつ、わたしたちは過去のつづきを生きている。なんら終わってなどいない。「自由とは過去の力を抑えることだ」という、レッシグのことばを思い出す。自由とは過去を愛することではないかとわたしは思う。対立的な構図を描いた時点で不自由になる気がする。では、「愛する」とは何か。それはしらない。

この世界は基本的に、死者がつくり出したものだ。生まれてこの方、過去の死者たちがつくった方舟に乗っている。遺伝子から、ことばから、歴史から、物語から……。わたしはただ、その莫大な贈与のうえにいる。生きながら、過去のさまざまな時間の延長に身を浮かべる。ささやかでも、なるべく息のつけるすばらしい過去を見つけ出して、その時間を長く繰り延べたいと思う。未来へ。

ラゾーナ川崎の丸善で、鈴木宏昭『類似と思考 改訂版』(ちくま学芸文庫)と、ジャコモ・レオパルディ『断想集』(幻戯書房)を買った。ほしいと思っていた本を、とりあえず2冊。あまり新刊は買わないのだけど、すこしふんぱつする。年末のショッピングモールは大賑わいだった。「コロナ禍」ってなに? と思うほど。

夏の終わり頃、この冬にはまた感染拡大するのかなーと予想していた。でも、そうでもないみたいだ。すくなくとも、日本では、いまのところ。未来のことはわからないな。

ちらっと見かけた車のナンバーが「777」だった。おしゃれな旧車。そのあと、「111」の軽トラックも見た。「だからなんだ」って感じだけど、それは言わずにおこう。たいせつなのは、引っかかりをおぼえた感情を無視しないこと。どんなに些細なことでも。さしたる意味はない。でも、なんか縁起がいいね。こんなものを、ちいさく意味づけておくとたのしい。

 


ちょっと書き留めておきたい話。


患者も消費者ですから、私はいつも言うのですが、消費者は賢いけどイマジネーションはそんなに豊かではありません。だから、このクラム・シェルでワンプッシュ型の携帯電話が出て来るまでに、消費者は「パッと押すと開く携帯電話が欲しい。だから作ってくれ」とパナソニックに言ったわけではないのです。常に企業が仮説をして、これは良いということで作っているわけです。だから、いつも言いますのは「浜崎あゆみが出て来たら嬉しい」と言った高校生はいないよということです。出て来る前に「出て来てくれ」と言った人はいません。出てきてはじめていい悪いのという評価はできるのです。

臨時 vol 75 「社会システム・デザイン・アプローチによる医療システム・デザイン」3 | MRIC by 医療ガバナンス学会

 

Tumblrで見かけた、横山禎徳という方の2007年の講演より。横山氏の文脈からは逸れるけれど、似たようなことをよく考える。スマホが普及する前に「スマホがほしい」と願った人はほとんどいない。一部の開発者だけだった。浜崎あゆみが世に出る前に浜崎あゆみのデビューを希望した人間は、まず浜崎あゆみだろう。はじめはなんでもそう。こんなこと、あたりまえ過ぎるか……。

もっとちいさな範囲でも言える。わたしの存在を知る前に、わたしのような人間を空想する人はいない。たぶん。いたらまじこわい。出会ってはじめて、「こんなヤツがいるんだー」となる。出会う前は、いないも同然なのだ。わたしだけではない。みんな。人は降って湧くようにあらわれる。 

人間同士はいかにして出会うのか、ずっと気になっている。たぶん、それぞれの希望を触媒にして出会うのだろう。想像といってもよい。人によって、このブログはおもしろかったりつまらなかったりする。よくわかったり意味不明だったりする。それは、携える想像力のちがいなのだと思う。

結局は、自分と出会っているのかもしれない。そんなことも思う。まったく未知のものとは出会えない。はじめて会う人でも、どこか知っているはず。なにか手がかりがあるはず。そう信じて接する。想像力を働かせる。悪くすると、自分の想像に及ぶ範囲だけで都合よくまとめ上げてしまう。 

人は自分にがっかりすることしかできない。「幻滅」とは、自分の幻想が潰えたという意味だ。あなたのまぼろしを見ていた。まぼろしを愛していた。人間の世界は想像以上に想像的なのだと感じる。生まれたからには、何かのふりをしなければならない。否応なく、まぼろしを身にまとわなければならない。

浜崎あゆみは浜崎あゆみのまぼろしを追いかけ、浜崎あゆみとなった。わたしもわたしのまぼろしを愚直に追いかけ、わたしをかたちづくっている。ひとりで追いかけているわけではない。周囲の人々とともに。言い換えるなら、たくさんのまぼろしたちとともに。

人は幻想を融通しあう。もうすこし、想像力の可動域を広げたいなと思う。想像できないことは、できないから。いま23時50分で、鐘の音が聞こえる。換気のために窓をすこしだけ開けていて、とても寒い。まもなく2022年です。よいお年をお迎えください。


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