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日記875


1月1日(土)

わかりやすい日。「きょう何日だっけ?」とならない。元日。カレンダーは時を俯瞰する地図だと思う。きょうの日は、一年のうちでもっとも「ここにいる」と感覚しやすい。ここが現在地。

初詣の行列を見た。みんな束になって元日をやっていた。これから2日、3日、4日……と経過するうちに日付の観念が散り散りになる。徐々に迷いが兆す。あれ、きょうは何日だったっけ。いつもみんなでカウントダウンすれば、現在地からはぐれることもなくなるのかな。でも、それはそれで疲れそう。

道端で遭遇した、おじいさんと孫の会話がほほえましかった。「あとでね、じいじにね、お菓子買ってあげる」「お菓子買ってくれるの? たのしみ~!」という。3歳くらいの男の子と、60代くらいの白髪の男性だった。「たのしみ~!」の言い方が奮っていた。正確に記すと、「た☆の☆し☆みゃ~!!!」ぐらいの感じ。大袈裟ではない。正確。

「孫」って、多幸感の塊みたいな存在なのかもなーと想像する。その一挙手一投足がうれしくてしかたがないらしい。

遭遇したひとコマをもうひとつ。適当なオリジナルソングを大声で歌う男の子に、「それなんの歌?」と母親らしき女性が問うと、男の子は「わからん!」と即答してつづきを歌いはじめた。歌いたいから、とにかく歌う。それ以外の理由がいっさい見当たらない純粋な歌唱に触れた瞬間だった。ただただ楽しかった。

そこでこんな記事を思い出した。

日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち

書いた人は、元プロサッカー選手で現コーチの中野遼太郎さん。タイトルで言わんとするところがおおむねわかる。これはサッカーにかぎらず、さまざまな分野に言えると思う。めっちゃ楽しそうに音楽をやる下手なおっさんがいてもいい。もちろんおばさんでも、老若男女問わず。めっちゃ楽しそうに将棋を指す下手な人がいてもいい。ともかく得手不得手の別なく、めっちゃ楽しそうに何かをプレイする人々がその分野の魅力を下支えしているのだ。

わたしは自分の文章がうまいとは思わない。とくに言われたこともない(1/2 追記:おほめいただいたことばをいくつか思い出した。引き出しの奥に、きれいな状態で眠っていた。希少な記憶をたいせつにしまいこみすぎていたみたいだ)。でも、「楽しそうに書いてるね」と感想をくださった方が過去にいて、とてもうれしかった。そのバイブスさえお伝えできれば御の字です。

きょうは二階堂和美の「A happy new year」などを聴きながら歩いていた。ベタなことをしている。松任谷由実のカバー。『私をスキーに連れてって』挿入歌。

 

今年も沢山いいことが
あなたにあるように いつも いつも

あけましておめでとうございます。


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