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日記877


1月5日(水)

遠方の親戚を連れて、介護施設に入居している父方の祖母と面会。めったに会わないおじさんとおばさんのふたり。祖母と会うのは5年ぶりと言ったかな。面会後は、面食らっていた。わたしにとっては「いつものおばあちゃん」なのだけれど、慣れていないと驚くらしい。いわゆる「ふつう」とは異なるかたちの話法だから。

とても短いスパンで同じ話を繰り返すし、自分の内側で生起する虚構と外側の現実との区別がまったくない。頭で考えたことのすべてが実際の出来事として語られる。怒ったり泣いたり、感情の起伏も激しい。こちらの言う内容については、ほとんどつたわらない。しかし、思うに、感情は通じている。細かな意味内容ではなく、ポジティブな口調かネガティブな口調か。おおまかな感情のアウトライン、それだけは明瞭に通じている感触がある。

「おばあちゃんは、気持ちを話しています。言ってることは感情の比喩です。事実ベースではなく、感情ベースのことばづかい。そして人間は多かれ少なかれみんな、そうやってことばを紡ぎます。感情によって、世界はいかようにも歪む。例外なく、みんなです」。あとで食事をともにしながら、そんな理解の仕方を提示した。ひとつの解釈として、極論めいているけど、本気でそう思っている。

いちばんはじめに湧き起こり、いちばんさいごまで残るものは、感情だろう。ことばの土台は感情をつたえる「たとえ」ではないか。祖母の語りをわたしは、詩文のように受けとっている。いや、祖母だけではない。みんな。あるいは、これも比喩になるが、音楽のようでもある。体の訴える気分に応じた、しらべを奏でている。


歩きつづけるためにどれだけ、どんなふうにまちがって歩き、歌うためにどれだけ、どんなふうにまちがって歌ったか。『旅芸人の記録』は、その痛切な記録なんです。


詩人の長田弘がテオ・アンゲロプロス監督の映画『旅芸人の記録』を評して、こう語っていた。どんなふうにまちがって歩き、どんなふうにまちがって歌ったか。人生のさいごに残るものは、これなんだと思う。

食事の席で70代の親類の話を聞いていても、認知症の祖母の話を聞いていても、おなじことを感じた。歩きつづけるために、歌いつづけるために、いかにまちがって歩み、そして歌ったか。老いた人の時間は、その痛切な過去で舗装されている。どんな話も敬して拝聴したい。

世代差を感じることばをいくつか聞く。「あいつは腹違いだからなあ」とか、「中学の教師が軍人上がりで眼帯をしていた(むかしのタモリみたいに)」とか。おばさんはヤクザと付き合いのあった小料理屋の娘で、「ヤクザと店の外で出くわすと、みんなお辞儀してくるから恥ずかしかった」と言っていた。

祖母の若いころの話も聞けてよかった。噂になるほど美人で大映にスカウトされた、といったようなことを話していたが真偽は永遠に不明だ。当時としてはめずらしく、わがままで遊び人の女性だったという。性役割に異を唱える感じの。その面影は同居していたころからあった。「あたしお勝手が嫌いなの」と言って、ほとんど台所に入らなかった。これも当時としてはめずらしく、祖父が料理をつくっていたらしい。

会食中、ふとした合間におじさんが宙を見つめながら「いない人の話ばっかりしてるなあ」とつぶやいていた。ここがお正月休みのハイライト。父は飲みすぎてへろへろになっていた。ちょっと心配なほど。「トシなんだから気をつけな」と、腕をとりながらヨタヨタ歩いて帰った。


 

1月6日(木)

仕事。午後から雪が降って焦る。こんなに降るとは思わなかった。見慣れた景色が一挙に様変わりする。人の歩き方も変わる。わたしもいくらか意識的に、すべらないように踏みしめながら歩く。足裏でギュッと音が鳴る。ほんの数時間前まで、そんなことはなかったのに。天候ひとつで何もかもが変わってしまう。

街が白い。ふしぎな高揚感に浮かされて、帰りにすこし遠回りした。しかし寒すぎて後悔する。家につく頃には、手足の指先がしびれていた。

明日は早めに家を出る。

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