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日記895


4月3日(日)

健康的な写真。みんながこぞって撮るやつ。「健康」は、「みんな」とほとんどイコールだと思う。健康な人。いるようで、じつはどこにもいない。「みんな」がまぼろしであるように。生きていれば、傷を負う。心身にゆがみを来たす。時代がまるごと病んでいる可能性さえある。でも健やかでいたいと願う。集団的な祈りの結晶みたいな概念。「ふつう」とも似ているかもしれない。

2022年4月号ユリイカに載っていた中原中也賞の選評で、荒川洋治がちらっと触れていた。「健康」について。荒川洋治らしい評価の仕方で、ウィリアム・サローヤンの『ヒューマン・コメディ』に関する、この人のエッセイを思い出した。たしかラジオ深夜便でも語っていた。YouTubeにあったはず。



 

2分30秒くらいから始まる。この語りがわたしは好きで、何度も聞いてしまう。善人しか出てこない健康的な作品だからといって、凡庸だとはかぎらない。うまくいけばそれは、祈りの結晶として広く伝わる。荒川さんは、『ヒューマン・コメディ』の世界を「みんなの故郷のよう」と話す。

多くの人がたぶん、「善きもの」を恐れる心象を抱えている。そんなにいい人ばかりいるはずがないと、つい疑ってしまう。「成功回避欲求」という心理学の用語もある。『ヒューマン・コメディ』は「善きもの」を疑わず、恐れず描いた作品だと思う。とはいえ、気持ちがよいだけでもない。物語のなかには戦争の影が色濃く存在する。それが「善きもの」たちのかたちを彫琢している。

わたしはなんだかんだで、あかるいものに惹かれる。暗いのは、あたりまえだから。一般に「悲観的」とされるものでも、勝手にあかるく読み解いているところがある。数日前、「心臓は、もしも考えることができたなら、停止するだろう」というフェルナンド・ペソアbotのツイートを読んで笑っていた。

きょうは終日、雨。明日も雨だという。桜はほとんど散るだろう。前を歩くおじさんの傘に、花びらが付着していた。それを見て、自分の傘にも付着していることに気がついた。この瞬間がハイライト。いつまでも寒い。ことしの春は寒暖差が激しくて、まいってしまう。まだ冬着が手放せない。


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