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日記896


4月14日(木)

桜はあんがいしぶとい。鼻毛と似ている。うちの近所ではもうほとんど散ったが、まだまだ威勢のよい木もちらほらある。花がなくなり緑が茂ってくると、なんだか安心する。開花は異常事態なのだと思う。生きているこの事態が異常であるように。ふつう死んでる。みんな死んでる。いる人より、いない人のほうが圧倒的に多い。おそろしいほど圧倒的に。生者は少数派。

 

 

あまり書く気力がないため、とりあえず写真だけ貼っておきたい。
桜が季節外れになる前に。

「これを書こう」と思い浮かぶことは多い。でも、あとまわしにするとやる気がなくなる。思い立ったそのときに書き留めないといけない。行き当たりばったりに撮るスナップとおなじ感覚なのだと思う。二度目はない。

しかし、生活はめぐる。ことばもめぐる。そっくりおなじ二度目はないにせよ、おなじようなことは何度もある。おなじような写真を何枚も撮る。日常は、「おなじような感じ」に支えられている。「いちどきり」と並行しながら、螺旋のようにめぐる時間を生きてもいる。

すこし前に、『どちらであっても 臨床は反対言葉の群生地』(岩波書店)というエッセイを読んでいた。著者は内科医の徳永進さん。タイトルに惹かれて、図書館で借りた。生きたことばは、かならず矛盾を孕むものだと思う。なにごともかんたんに「どちらか」で割り切ることはできない。

著者が初心を語る最初の章に、こんな記述がある。

 

 死のまわりにある〈ほんとう〉には引きつけられるものがあった。考えさせられ、興味深くもあり、ちょっと不謹慎に聞こえるかも知れないが、心揺さぶられ、そして面白さを覚えた。

死のまわりにある〈ほんとう〉。ここを読んでわたしは、長田弘のことばを思い出した。これとは真逆かに思えるお話。むろん、どちらが良い悪いではない。どちらも、それぞれの文脈においてその通りだと思う。


ホンモノというかんがえかたは本質的に誇示的であって、それが何かの具合で権力の論理にむすびつくとき、ひとを強いるものになってしまう。ホンモノの論じかたで出てくるのは、きまって「真の」「ねばならない」「そうであるべきで、そうでなければならない」という物言いですが、戦後と呼ばれた時代に年齢をかぞえてきて、わたしがおぼえたことは、ホンモノをではなく、ニセモノを愛することの大切さというか、明るさです。戦争というホンモノの時代ののちに、平和というニセモノが戦後という時代をつくった。平和というのは、どうも圧倒的にニセモノが日々の時間を生き生きとさせている、そうした時代を全体としていうんじゃないだろうか。そんなふうにおもうんです。


『一人称で語る権利』(平凡社)より。「戦争というホンモノの時代」と、「死のまわりにある〈ほんとう〉」。このふたつの発想はつうじている。二度とない唯一無二の時間は、死と裏腹の時間ともいえる。対して、ニセの時間はなめらかにめぐる。「またあした」と気楽に告げることができる。きょうの日がそんなにきょうの日でなくてもいい。またの日を信じられる。あしたがある。

徳永医師が書くように不謹慎にも、有事には魅力がある。それはもう、そういうものとして仕方がない。戦争にも自然災害にも、少なからず湧き立ってしまう心がある。しかし、そこで平時の心を忘れてもいけない。ニセモノの明るさ。繰り延べられる時間のふところに、ことばを育む空隙が宿るのだから。

 


きょうは小雨が降り止まなかった。気温も下がって肌寒い。金曜日かと勘違いしていて、「木曜日だよ」と教えられる。土日がひとつ遠くなった。季節の変わり目は服装が多様になる。コートを着込んでいる人も、半袖の人も見かけた(寒そうだった)。過渡期の多様さ。「多様性」は腰が落ち着かないことばだ。決めきらない、過渡的な思考のなかに身を置くことを意味する。「多様性」が良しとされる世の中ならば、迷うことが推奨されるはずだろう。

もう川面の花びらもすっかり流れていそう。さっき、『金井姉妹のマッド・ティーパーティーへようこそ』(中央公論新社)という鼎談集を読んでいた。


フィリス 毎日起きるでしょ。それで恐くないの、全然? つかまえられないように、今の内に生きようって、ちょっと焦ってる感じがしないの?

美恵子 感じないなァ。また、今日も退屈な一日が始まるなあってなもんでさ。本当はずっと眠っていたいのだけど、やっぱり起きないとねえ。

フィリス へえー。あたしは朝起きると、焦ってますよ。もうじき死ぬかなって思ってるから。

美恵子 早く仕事しなくちゃって思うわけね。

 

死から生を逆算するタイトな考え方と、「今日も退屈な一日が始まるなあってなもんでさ」という鷹揚な考え方。対立が鮮明でおもしろい。ホンモノに駆られる焦燥感と、ニセモノを請け負う明るさ、ともいえるか。金井姉妹の話は明るい。

相変わらず体調が思わしくないけれど、なんだかんだ適当にこなそう。「気力がない」と言いながら、なんだかんだ適当に書けたし。今日も退屈な一日が始まるなあってなもんでさ。退屈な文章でもいいでしょう。たまには死についても一瞥しながら。


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