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日記906


7月14日(木)

疲れている。めっちゃ疲れている。はやく寝よう。仕事の帰りに図書館で文學界の8月号を読んだ。特集「入門書の愉しみ」。ぱらぱらめくりながら、上田岳弘の頁に目が止まった。「首吊り芸人は首を吊らない。」という文字列。何年もひそかに熟読しているブログのタイトルだった。たぶん、2009年ごろから読んでいる。

2013年か。文藝賞でデビューした小説家、桜井晴也のブログ。上田さんは、このブログから「文学養分を補っていた」そうな。「このブログは書く人になろうとする精神の記録でもある」という。その通りだと思う。「作家になる」と掲げて書きつづけ、ほんとうにデビューした。その過程をわたしはひとりの読者として、ぼんやり眺めていた。

いつか乗代雄介のブログみたいに書籍化してほしい。いつか書籍化してほしいブログはたくさんある。有名無名の別なく。好きな書き手の文章は、こっそりプリントアウトして束ねている。セルフ書籍化。そんな、ちょっと気持ち悪い趣味がある。

「なんかワシ、文学やら芸術やら呼ばれるものに惹かれる傾向がある」と気づいたきっかけのひとつは、桜井さんのブログだったかもしれない。あるいは、その周辺のリンク。井上瑞貴という詩人のブログ、「坂のある非風景」も好きだった。二十歳ぐらいのころ、むさぼり読んでいたブログのひとつ。いっとき読めなくなっていたけれど、いまは復活している。

文学が好きだから、そこにたどり着いたわけではない。「なんかおもしろい」と感じる対象がどういうわけかそのへんに多かった。いつもカテゴリーは、あとから知る。適当に関心を追いかけていたら、どいつもこいつも詩人だった。みたいな経験が多い。文学を追いかけているわけではないのに、文学と遭遇してしまう。

「なんか調べごとをしていると、だいたいハイデガーとアーレントに行き着いてしまう」と哲学者の國分功一郎さんは話しておられた。それぞれに「なんだか知らんが、結局ここに行き着いてしまう」という人物なりジャンルなりがあるんではないか。きっと、誰にでも。行こうと思って行く場所ではなく、流されて終に漂着してしまうようなカテゴリー。わたしのそれは、文学なのだろう。ほかにもいくつかあると思う。いまは浮かばない。疲れている。

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