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日記909

 

7月17日(日)

ディスクユニオンで相倉久人『機械じかけの玉手箱 ロック時代への乱反射』(音楽之友社、1975)を買う。レジの若い女性がとてもゆっくりした人で、ありがたみを感じた。ゆっくりされるとありがたみが出る。商品を袋に入れて、袋の口をテープで止めて、渡してもらうまでのなんともいえない時間。会話が途切れたときの沈黙を、フランス語で Un ange passe(天使が通る)というらしい。それを思い出す。しばし天使が見えた。

300円だったけれど、たいせつなものを受け取った気分になる。焦ってはいけない。焦りはありがたみを削ぐ。ブログも毎日更新しないほうがよいのかもしれない。いや、ありがたみもクソもないか。きょうで6日目。

きっと、待ち合う関係がありがたみをつくる。待っててね。待ってるよ。これが成約すると、ありがたい情念の発露が起きる。おまちどおさま。ありがとう。

待てなかったり、待たせてもらえなかったりすると、ありがたみが削がれてしまう。ありがたみに取り憑かれると、忠犬ハチ公や岸壁の母みたく永遠になにかを待つハメになる。逆に、ありがたみゼロはなんだろう。なにも待たない。待たれもしない。よくわからん出来事。青天の霹靂。

「待つ」が消滅した人の世界では、なにもかもが無意味で突発的に巻き起こるのかもしれない。せわしなく。待つことしかできない人の世界では、なにもかもが有意味でありがたく、それはそれでめんどくさい。凡そ人は待ったり待たなかったりして、適当にやる。

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