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日記925

 

国葬のニュースで『山縣有朋』という書名を聞いたとき、「群像社の……?」といっしゅん勘違いした。あれは榎本武揚だった。ぜんぜんちがう。ヴャチェスラフ・カリキンスキイ『駐露全権公使 榎本武揚』(藤田葵 訳、群像社、2017/12)。上下巻ある。去年だったか、真夏の暑い日に古本屋で見かけて「こんな本があるのかー」としばらく立ち読みした。棚に戻して「こんど買おう」と思っているうちになくなっていた。

岡義武『山縣有朋』は岩波文庫。山縣と榎本はまったく異なる人物だけれど、名前のリズムが似ている。内実ではなく、第一にリズムで記憶しているのだろう。やまがた・ありとも、えのもと・たけあき。ともに八文字。四文字、四文字で区切る感じ。二文字で切ってもいい感じ。譜割りが似ているから混線したのだと思う。同時代人だし、歴史的にも近いといえば近い。

群像社と岩波で思い出すのはアレクシエーヴィチの版権。群像社の島田さんと鎌倉のブックフェスタでお会いした際、なにも事情を知らなかったわたしは『戦争は女の顔をしていない』の話を思いっきり無邪気にしてしまった。その後、群像社が増刷できなかったニュースを知って頭を抱えた。無知は恥の淵源である。それでも快く応対してくださった島田さんの名刺は、いまでもたいせつにとってある。

名刺といえば、そろそろ衣替えをしようとクローゼットを整理していたところ、ジーンズのポケットからくしゃくしゃになった郡司ペギオ幸夫の名刺が出てきた。ペギオ!とびっくりして、なんか笑ってしまった。意想外の名前。名刺ごと洗濯していたようだ。ことしの3月にもらっていたのだった。あの日からペギオはポケットのなかで縮こまって春夏を過ごした。この秋からはちゃんと名刺として、名刺入れに編入させる。どうしようもなくシワシワだけれど、伸ばして伸ばして保存する。ほんらいはもっと伸びる子だと思う。

 

 

10月1日(土)

 痴呆患者は現実状況の変化に適応することがむずかしい。環境の急な変化は避けたほうがよい。配偶者の死(とくに妻)、転居、入院、施設入所などで痴呆が急にすすむことがある。一般に老人は“移植”に弱く“植え傷み”する。

中井久夫+山口直彦『看護のための精神医学 第2版』(医学書院、pp.255-256)より。2020年の5月から、「環境の急な変化は避けたほうがよい」と知りながら祖母を施設に“移植”したために、少なからぬ心痛が継続していた。それを判断したのはわたしだけではないけれど……。“移植”から、もう2年以上が経つ。

当初は、あきらかに“植え傷み”しているようすだった。しかし、さいきんは安定している。施設の方々のご尽力もあり、だんだんと根が伸びてきたのかもしれない。長いことかかったが、きょうの面会をもって「心痛」に区切りがついた。勝手なものだ。とくにきっかけがあったわけではない。帰り道に「まあ、いいんじゃないか」となんとなく思った。それだけ。天気の影響もありそう。秋にしては暑い日和で、よく晴れていた。適度に乾燥して澄んだ空気が心地よかった。長い時間、散歩をした。

知り合いのお爺さんが先月、脳梗塞で倒れたという。そのときも、「一般に老人は“移植”に弱く“植え傷み”する」の一行を思い出していた。お爺さんは軽度の認知症だった。いまは、せん妄がひどくていつ退院できるかわからない、らしい。

倒れる2日前に、お会いしていた人だ。妻に先立たれ、一人暮らしだった。わたしは家事を手伝うため不定期で通っていた(そしてお小遣いをもらっていた)。さいごに訪問した日は、いっしょに焼きそばを食べながらお爺さんの好きな青山繁晴のYouTube動画を2時間ぐらい見つづける、謎の時間を過ごした。

それから、「また来てね」「また来ますね」と言ってお別れ。いつものように。これに限らず、「また」と告げてそれっきりの人がたくさんいる。人と人は、実際のところあまり会えない。あまり会えないね。素朴に、ばかみたいに、「人生って短いなー」と思ってしまう。あらゆる出来事が途切れ途切れのまま放置されている。映画の途中で眠るようなここち。何度も何度も。


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