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日記929


11月6日(日)

施設の祖母と面会。かれこれ何ヶ月もおなじ話のループを聞いている。そろそろほかの話も聞きたいと思い、むかしの写真をいくつか持参した。思惑通り、新鮮なループを拝聴できた。写真が示す場所ごとに、別のループが語られる。1枚1枚の紙片がCDやレコード盤のような機能を果たしていた。写真をもとに過去の場面が永遠にループしつづける。

曲と記憶は音が似ている。きょく、きおく。性質も似ているのかもしれない。記憶はそう、音楽に似ている。そして、その再生の鍵は場所にある。写真は場所を持ち運ぶ。わたしたちはいくつもの場所を持ち寄って話をする。記憶とはつねに、「そこにいた記憶」なのだろうか。架空の場所であれ、そこで時間が流れた記憶。

これはいつも感じることだけれど、祖母の話は歌に近い。通常のやりとりはできない。歌に合いの手を入れるように応答する。とにかくまわっている。ぐるぐるまわる。そのグルーヴをつかまえて。祖母の話と歌との共通項は、「身勝手さ」にある。

歌う人の前では通常の会話が成り立たない。相手がひとたび歌い始めたら最後、為す術なく「イェーイ!」などと言って盛り上がるのみ。ふつうに話しかけても歯が立たないのだ。祖母もまた、ふつうに話しかけても歯が立たない。話し始めたら最後、とりあえず「ヘイ!」とか「カモン!」とか言いながらいっしょにぐるぐるまわるしかなくなる。

通常の会話で使用する日常言語の観点からすると、歌はとても身勝手だ。というか、かなわない。祖母の話も同様に、日常言語では太刀打ちできない。うまく乗っていくしかない。自然とこちらも歌の世界に巻き込まれてゆく。歌には歌をもって応じるほかないのである。

線的に積み重なることばの運動を忘れるにつれて、人の思考は音楽に近づく。さいごには、その身に宿したリズムだけが残る。気詰まりな意味が漂白され、ただ流れるままの音になる。もともとことばがそうであった、太古の姿に還るように。

考えながら、武者小路実篤の「ますます賢く」を思い出した。

 

 僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。
 人間もいくらか老人になったらしい、人間としては老人になりすぎたらしい。いくらか賢くなったかも知れないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当のことはわからない。
 しかし人間はいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でもあるようだが、事実と一緒に利口になったと同時に少し頭もにぶくなったかも知れない。まだ少しは頭も利口になったかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れない。
 ともかく僕達は少し利口になるつもりだが、もう少し利口になりたいとも思っている。
 皆が少しずつ進歩したいと思っている。人間は段々利口になり、進歩したいと思う。皆少しずつ、いい人間になりたい。
 いつまでも進歩したいと思っているが、あてにはならないが、進歩したいと思っている。
 僕達は益々利口になり、いろいろの点でこの上なく利口になり役にたつ人間になりたいと思っている。
 人間は益々利口になり、今後はあらゆる意味でますます賢くなり、生き方についても、万事賢くなりたいと思っている。
 ますます利口になり、万事賢くなりたく思っている。我々はますます利口になりたく思っている。
 益々かしこく。


やはりこの文章も、読めば読むほど歯が立たない。どうやってもかなわない、と思ってしまう。もはや乗るしかない。進歩したいと思うほかなくなる。そう、僕たちはますます賢く、利口になりたいと思っている。いい人間になりたいが、ますます利口でしかし賢くなりたいと思っている。いつの日も、ますます利口で進歩したいが、進歩したいと思っている。今後も万事ますます我々は利口になり、進歩したつもりでいる。かしこく。賢くなり、ますます利口になり、いくらか老人になったらしい。本当のことはわからない。




十一月七日

 夕方、北新市場へお惣菜を買いにゆき、蟇口を落してしまう。四円ぐらい入っていた。気分なおしに浅草へ向う。日本館で「ブルグ劇場」を見た。しばしの陶酔。十時近く帰る。

吉岡実『うまやはし日記』(書肆山田)より。

 

 

気まぐれに。今日から他人の日記を書き写す。できるだけ毎日。誰かの日記をひっぱり出して、その日の記述を写す。1年はつづける。365日、異なる本から引く。これもできるだけ。謎の習慣として、なんとなくやる。日付を探すように過ごす。

「ブルグ劇場」は1936年のドイツ映画。ヴィリ・フォルスト監督。谷崎潤一郎の『細雪』にもタイトルだけ出ていた。引いたのは1939年11月7日の日記。詩人の吉岡実は二十歳。


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