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日記931


 

十一月九日 月曜日

 思いがけずゴスキノのタチャーナ・ストルチャクから電話、あなたのやっていたのは本当に資料収集者としての仕事で、校正者としてのものではなかったのですね。答え――全くそうです、それだけのことです。
 この履歴書、書類づくりは何のためだろう。パリ行きのため? だとしたら、またもやラーラを置いてひとりで行けと言われたら、何と答えたらよいだろう? それとも、このストルチャクとでも一緒に行けと? あとにイタリアの企画が控えていることを考えて、今回は諦めて引き下がるというのはどうだろう? 黙従に意味があるか? いや、みんなくたばれ。一戦を交えて、何としてもラーラを連れて発てるようにする。

 考えが浮かぶ。最愛の息子を失った人間について。息子に捨てられる。愛しても愛は返ってこない。ふり向きもせず息子は家を出て行く。父親との絆から逃れて解放感を味わう息子。古典的な問題設定だ。子らへの愛にやみがたくとらわれた両親と、自らの人生を追求しようとする子らの無関心。とはいえ、親を盲目的に愛し、その死に際し深い嘆きに見舞われる子供たちも一方には居る。

 聖アントニウスの材料集めを開始。決定的に重要なのは体系であるとの確信。ポール・ヴァレリーが方法というものについて書いている。体系を打ち立てることによって、人間の感情と知性とをひとつの凝縮した全体へとまとめ上げることが可能となり、この全体性が、新たな、質的に新たな特性を生み出す基いとなる。
 体系はひとつの閉じた円環、ひとつのリズムであり、その独自のバイブレーションは、この体系との共震によってのみ生じ得る。

 「自己制約は、自己認識および神の探求という名のもとに考案された、かの伝統的体系のひとつである。」
 「規則あるいは方法をひとつでも見出した人間を私は尊重する。他のものは全て無価値だ。」

ポール・ヴァレリー

 「理性とは思うに、宇宙が自らを能う限り迅速に抹消しようとして案出した、かの方策のうちのひとつではあるまいか。」

ポール・ヴァレリー

  どこかに書きとめたかどうか忘れたが、一九六二年ニューヨークでストラヴィンスキーと知り合った。記憶違いでなければ、あるロシア風の喫茶室で。

 一旦認識の諸階段をのぼりつめたならば、あらゆる知識の空しさに思い至らずにはいられないはずだ。知識の獲得は何がしかそれ自体価値あることと思われがちだが、この錯覚をきっぱりと棄ててこそ、知識獲得がある成果を結び得たと言える。この意味でひとは結局は個人の経験へと立ち戻らざるを得ないのかも知れぬ、待てよ、だがこれはすでに純粋主義か? 
 コースチコフと話した。彼によればこうだ――フランス側はあなたがたを封切に招待しましたが遅すぎましたね。封切が日延べになるなら行ってもよろしい(たぶん)。――十二日までにパリに招ぶ約束だとフランス側は言った、と抗議すると、彼は何だかよくわからないことをぶつぶつつぶやき、はっきりした回答を避けた。要するにいつものことだ、ひとをだまし、はぐらかし、嘘でごまかしているのだ。
 またして心のうちに痛み。またしても抑鬱と悲哀。ラーラはまだ帰って来ない。

 「実際のところ、それは小市民的偏見だ。」

レーニン

ユーリー・アンネンコフ『レーニンの思い出』より(「ノーヴイ・ジュルナール」一九六五年、六十五ページ)

 不意に思い出した、イタリアで、あるイコン、ウラジーミルの聖母をみつけたときのことを。海辺の、古さびたささやかな聖堂で。この像を目にして、私の心臓ははちきれんばかりの期待にうちふるえた、あたかも何か喜ばしいできごとがすぐ目前にせまっているかのように。

 

アンドレイ・タルコフスキー『タルコフスキー日記Ⅱ 殉教録』(武村知子訳、キネマ旬報社、pp.21-24)より。

1981年11月9日。簡潔な日記がつづいたので、長めのものを探した。思考の生々しさ。日記はふつう、1日で書き上げる。そのスピード感が独特の生々しさを醸し出す。ここにある「あらゆる知識の空しさ」は、おこがましいにも程があるけれどなんとなく頷ける。雑な連想として、ウィトゲンシュタインの「ざらざらした大地へ戻れ!」を想起する。

 

私たちは摩擦のない氷原に迷い出たのだ。そこでは、条件はある意味で理想的なのだが、しかし私たちはそれゆえにまた、先に進むこともできないのである。私たちは前へ進みたい。そのためには摩擦が必要だ。ざらざらした大地へ戻れ!

 

『哲学探究』より。理想的な論理本位の空間から脱して、行為とともにある不如意な日常言語へ戻れと。いう理解でよろしいのかしら。「結局は個人の経験に立ち戻らざるを得ないのかも知れぬ」というタルコフスキーの感覚とも重なると思う。ぴったりではないにせよ、部分的に。ではその次にある、「だがこれはすでに純粋主義か?」の問い返しは何を意味しているのだろう。この場合の「純粋主義」が何を指しているのか、わたしにはわからない。哲学の文脈でいうと、現象学に近い何かだろうか。あるいは単純に「現場主義」みたいなことか。

現象学といえば、いつかtwitterで見かけた戸田山和久氏のツッコミを思い出す。


学生時代に現象学者たちがフッサールのどこそこにこんなことが書いてあるという議論ばっかりやっていたのを見ながら「はやく事象そのものへ向かえよ」と思っていた。

酒井泰斗プロデュース「いまこそ事象そのものへ!──現象学からはじめる書棚散策」紀伊國屋書店新宿本店ブックフェア(2017年8月14日~9月30日) - socio-logic

 

前田泰樹ほか編『エスノメソドロジー 人々の実践から学ぶ』(新曜社)の推薦コメントより。戸田山氏はつづけて「のちに、エスノメソドロジーに出会って「ん? これが現象学が本来やろうとしていたはずのことではないの?」と目から鱗が落ちました」と書いている。

要するに、そうだな。「何を知っているか」ではなく、「何を生きているか」に主眼を置くという話かもしれない。 知っていることから、生きていることへ。事象そのものへ。生活世界へ。個人の経験へ。ざらざらした大地へ戻る。かといって、知ることも無駄ではない。棄てるために学ぶのだ。行きつ戻りつ。その繰り返しがたいせつだと思う。

タルコフスキーの日記に戻ると、さいごの「不意に思い出した」から始まる記述がとても好き。はちきれんばかりの期待。きらめく兆候性。体系はひとつのリズム、という着想もおもしろい。

 

11月9日(水)

スタバのテラス席で『沈黙の艦隊』を読んでいるおっさんがいた。

 

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