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日記939


 

今日の日記。

ハンス・カロッサ『ルーマニヤ日記』(新潮文庫、pp.87-88)より。1916年。カロッサ、38歳。この日記は彼が第一次世界大戦のさなか、ドイツ国民兵軍医としてルーマニアの地で従軍した2ヶ月あまりの記録。

 

 十一月十七日。未明銃撃があったが、ほどなく熄んだ。陽がでると空が晴れた。透明な雲の薄い膜のうしろには、杯種のような形をした黄金色の虧け行く月しろが懸かっていた。担架卒が来着して、漸次全負傷兵が運ばれて行った。ピルクルは居残らねばならぬ。脈がほとんどなく、屍体になってオイトーズへ行くことだろう。弟が一時間の暇を貰ってピルクルを見舞ったが、もう話もできない状態になっていたので、その一時間を利用してまだ息のある兄のために墓穴を掘り、十字架を削り、その上に青鉛筆で丹念に戦死した兄の名前を書き誌した。
 九時、旗をかかげた僧侶に引率されて、銃と弾薬を持ったルーマニヤ兵士三名がやってきて、ハンガリーの大尉に会いたいといった。そして無条件の降服を申しでた。行列は多少芝居がかっていた。この芝居がかりということにかけては、われわれよりルーマニヤ人やハンガリー人の方がたしかに上手らしい。時は平穏に流れて行く。寒気はやわらいだ。南風が黒い岩の氷と雪をとかす。まるで近くに暖炉でもあるように、ひどく暖かい空気の流れにぶつかることが再三再四だった。色あせた太陽はその輪郭をぼっとにじませながら吸取紙のような白い靄の中に包まれていた。夕方、ハンガリーの衛生見習士官たちが彼らの大きな背負い籠の中から長い壜と上等なきれいなガラス・コップを取りだして、熱い酒で自分たちやわれわれを元気づけてくれた。




遠い視線と近い視線が混交している。銃撃(近い視線)から、晴れた空にかかる薄雲と欠けゆく月を見遣る(遠い視線)。眼前の人々を描くばかりではない、遠い自然の描写が戦地の息苦しさをやわらげてくれる。カロッサの記録は、どこか余裕がある。巻き込まれている感覚と、そこから遊離する感覚のふたつを持ち合わせている。いるようでいない。いないようでいる。みんなといる部分と、ひとりでいる部分があって、そのあわいに書記言語の空間が滲み出す。そうした書きぶりを「文学的」と呼ぶのかもしれない。

ひとり部分を抜き出してみる。

 

陽がでると空が晴れた
透明な雲の薄い膜のうしろには
杯種のような形をした黄金色の
虧け行く月しろが懸かっていた

時は平穏に流れて行く
寒気はやわらいだ
南風が黒い岩の氷と雪をとかす
まるで近くに暖炉でもあるように
ひどく暖かい空気の流れにぶつかることが再三再四だった
色あせた太陽はその輪郭をぼっとにじませながら
吸取紙のような白い靄の中に包まれていた



11月17日(木)

書店で、ベケットの『どんなふう』(宇野邦一 訳、河出書房新社)をパラパラめくった。10秒くらい。それでも印象に残っている。そこにあったのは句読点がない、詩的な文字列のつらなり。

句読点のある文章は内容のいかんを問わず、それだけで理知的に見える。一文一文に始点と終点があり、リズムも整えられ、「理」が果たした仕事だと一見してわかる。つまり、コントロールされている。たとえ、むちゃくちゃなことが書いてあったとしても、句読点さえあれば「理」の裾捌きが感じられる。ある程度はわかってやってんだな、と。

『どんなふう』には、句読点がない。脆く、ページからこぼれ落ちてしまいそうな文字が印刷されている。宙に放たれ、いまにも消え入りそうな。句読点とは、定着の目印なのだと思う。地平をつくる、というか。それがない文章は、一見して不安だ。『どんなふう』にかぎらず、わたしは句読点のない詩文全般に不安を感じる。慎重に、繊細に受けとめないといけない。そうしないと、すぐに壊れてしまいそうで。

数年前、生後間もない甥を胸に抱えたときにも、似たような不安をおぼえた。このちいさい人、油断するとすぐ死んじゃう。あまりにやわらかい。あまりに無防備。どうしよう。こわい。句読点のない詩文を読むときの感触と、赤ん坊を抱くときの感触は似ている。とてもよく似ている。

句読点は一種の防備。理性というのも、防衛的な性質のものだ。あふれないように、こぼれないように。句点と読点をきっちり打ち込むことで、タガをはめる。それをとっぱらった詩文は、何かあふれていて、こぼれている。ひとりだ。まるで生まれたての赤子のように。

駅のホームで、佐伯泰英『居眠り磐音』(文春文庫)を片手に居眠りするおっさんを見た。

 

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