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日記942


 

二〇〇五年十一月二〇日
犬猫屏風と結婚式

 洗濯物を早く乾かしたくてコインランドリーに行く。コインランドリーはよそよそしい、ふだん音沙汰ないからや、狭くて音がどらんどらんとリズミカル、棚に詰め込まれた雑誌の一頁までもが完全に湿ってて蛍光灯がちりちりと震え、なんだか恐ろしい気持ちになる。あ、恐ろしい、と声にしてみるとあんがい間の抜けた形容詞でもって、一気にどっ白けて恐ろしくもなんともなくなった。
 乾燥機はあと六分なんで待つ。しんとしてる音とどらんどらんを全背中で受けて黙って座ってる。動いてるのは私の洗濯物入れた乾燥機と誰かのを洗ってる洗い機がひとつ。
 その洗い機にはまるで漬け物石みたく蓋のところになんか荷物が置いてあって息苦しく見てるだけでなんだか私の肺の上に鉄板を置かれてるようなよう。盗まれるの防止であろうなと、乾け乾けと思ってたらその洗い機が突如ものすごい勢いでごんごんと暴れ出した。
 洗い機の中、左右にごっらんごっらんと体をぶつけて中でもがいておるような暴れが洗い機の中で、それが脈絡なく繰り出されて私は唾を飲みじっと見ていた。洗い機は動物が風呂上がりのようにぶるっとし暴れて蓋の上の荷物が落ちそうになっていた。
 私は猫か犬やと思った。猫か犬が洗い機に落とされて回されているのやと思った。猫と犬が回されてるところを考えてみた。犬猫、つながる犬と猫の顔、四つの目と無限の毛、八つの足とちいさいギザギザの歯、飛び散る茶色や白や黒、小さい脳の匂いや思い出が黄金色にたなびいて、台風一過の夕焼けみたくなんだか分厚い屏風になって。
 洗い機の主を待って中をちらっと確かめようと私の乾燥機が止まってだんだん冷えてきてそれでも主は帰ってこないで私は帰ってこない主を待ったが犬猫はずっとどらんどらん、凹凸のどらんどらんを聴いてるうちに、犬猫の鮮やかな屏風の前で結婚式をあげるおばあちゃんとおじいちゃんの夢をみた、おばあちゃんは今のおばあちゃんで奇麗なお化粧で角隠しで笑ってた、おじいちゃんは上は軍服、すこぶる若く、下はフンドシ一丁で辛そうな姿勢でしゃがんでた。



川上未映子『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(ヒヨコ舎、pp.143-144)より。写しながら、みごとだなーと思う。なんか圧倒的。しばらく忘れていたノリが湧き立つような気にもなる。真似したくなる。

自分が書くときにはいつも、切ることを念頭に置く。一文一文を短く切る。上に引いた日記の文体はそうではない。想像がぬるぬると連鎖的につながってゆく。ことばが動いている。かつてはこのような書きぶりにあこがれていた。いや、いまもあこがれる。

あふれだすものを止めずに泳がせてやる感じ。わたしの場合、あふれだすものがあればまず止めようとする。あふれさせない。キュッと絞って、ちょろちょろ流す。こわいから。 切り詰めるほうを選んでしまう。というか、それが手癖になっている。

もっとドバドバ流したい気持ちもある。ドバドバ。



11月20日(日)

YouTubeで最高の番組が始まっていたことを知る。

 

 

 

スヌープ・ドッグも料理本を出したことだし、漢 a.k.a. GAMIの料理本もいつか期待したい。それにしてもralphの声が良すぎる。「なんでもいいからもっとしゃべって!」と思う。声ください。もちろん漢氏の声も良い。

自分は「声の良さ」に敏感で、声が良いとそれだけで好きになってしまう。人物の内容は問わない。逆に、許容できない声色はそれだけで敬遠してしまう……。悪い癖。面食いならぬ、声食いなところがある。声以外はどうでもいい。

 

 

 

ralphの声が良すぎる。今日はそれに尽きる。あと、「漢 Kitchen」は最高。以上。


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