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日記943


 

 十一月二十一日 木 二十七夜
 晴。朝の内は切れ雲があったが後昨日の通りの快晴となり暖し。朝平山来。お酒が未だ手に入らぬおことわり也。又出張にて伊豆へ行くから二三日はいないと云う事なり。午後省線電車にて兜町へ散髪に行く。帰りに郵船へ寄り生駒氏に会い、又、永沢、竹中、庄司三君にも会った。以上の四人に御馳走帖を一部宛進上せり。東京駅迄生駒氏等の自動車に同乗し省線電車にて帰る。今日もお酒の気なし、止んぬる哉。政府の決定にて漢字制限新仮名遣いと云う事になり、毎日新聞はこないだから紙面に実施していたが、今日からは朝日もそうなりそうなり。甚だ読みづらし。成る可く要領だけ勘で見て文章は読まぬ様な事になる。時事新報だけは故の通り也。


『内田百閒集成23 百鬼園戦後日記』(ちくま文庫、pp.267-268)より。昭和21年(1946年)11月21日。内田百閒は多くの日記を残している。とても筆まめ。頑固なほど。この日の日記にある「漢字制限新仮名遣い」についても頑固に反対しつづけ、旧仮名遣いを生涯つらぬいた。

旧仮名遣いは、いまもweb上でときどき見かける。少数ながら受け継がれている。字面に厚みと重みを感じて、それだけで威力がある。漢字の詰まった黒い塊。新仮名遣いは平仮名が多くやわらかい。旧仮名に比べて白い。

わずか数十年でことばは様変わりする。ほんとうに、すっかり変わってしまうものだと、古い本を読むと思う。わたしがいま使っていることばも、やがて古くなる。すでに、やや古いのかもしれない。こんなスタイル。

短文が苦手だ。twitterやLINEなどで用いられる速い書きことばに適応できていない。いまのところ……。できる気もしない。ついていけない。わたしの書きことばは絶望的に遅い。この「遅さ」はすなわち、「古さ」でもあろう。ようするに、「話す」と「書く」のあいだに葛藤がある。

流行語にも、ほとんどついていけない。唯一、「激おこぷんぷん丸」はいまだに使っている。最上級の「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム」まで使う。こういうコテコテの表現が好き。おもしろく怒りを表現できる。というか、「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム」の字面を見ると怒りが収まる。口に出して言ってみてもいい。唱えるうちに沈静化する。しかしこれもすでに古い。

 

 

11月21日(月)

今月7日から日記の引用を開始して2週間が経過した。どこまでつづくやら。「ライバルはゆたぼんの日本一周」と書いたその日(13日)、ゆたぼんは日本一周を達成していたらしい。しらんかった。置いてかないで……。もう一周しないかな、ゆたぼん。まあいいや。敵は我なり、ということにしよう。


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