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日記946


 

十一月二十四日 雨

 うかうかしてゐる間にはや十二月も近づいた。
 来年は、一月一日から日記をつけやう。今年のやうなへまをやるな。
 正月はやはりいつになつても懐しいものだ。本日映画があった。馬鹿らしい。
 (人間は、次に生れて来る者の為に、一生けんめい働いて死んで行く。それで良いのだ。)
 僕は、この言葉に多くのぎもんを持つ。
 我々の祖先は我々の為に多くのものを残した。
 精神上に於いて又物質上に於いて。
 精神上に於けるものが宗教である。
 物質上に於けるものが科学である。
 その二つにまたがるものが芸術である。それは、精神的な意志を物質的に表現した。
 それ等の遺産によつて、我々は多くの幸福を得た。
 我々はその幸福を享受するだけではいけない。それに対する恩をかへさなければならぬ、ぎむがある。
 それらのものを一さう発展させ、より立ぱなものとして、後の社会に、我々の子孫に、伝へなければならぬ。
 人間は何の為に生れて来たか、それは不可解である。
 だが我々は、人類の子孫として生れた以上、前の事を行ふギムがある。
 又、我々は幸福を求める。物質的な幸福と言ふものは存在しない。真の幸福は、精神の幸福である。
 幸福を、我々の為に求めやうとするのは間ちがつてゐる。
 幸福は、我々の祖先によつて我々にあたへられてゐる。
 我々は、昔の人とくらべていかに幸福であるか。
 我々は、我々の子孫の為に、又次の社会の為の、幸福を求めなければならぬ。
 現在に満足せよ。我々の先祖に感謝せよ。
 次の社会として、我々の子孫の生活としては、現実はあまりに不完全であることを認識せよ。次のよりよき社会を、人生を、子孫にあたへる為に努力せよ。


 

五木寛之『日記 ―十代から六十代までのメモリー―』(岩波新書、pp.22-23)より。

1947年11月24日。五木寛之、14歳の記述。このようなことを考える14歳の青年は、いまどき存在するのだろうか。「人間は何の為に生れて来たか、それは不可解である」。ここから藤村操を連想する。1903年(明治36年)、萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」として16歳で華厳の滝から身を投げた煩悶青年。14歳の五木寛之は同じく「不可解」としながらも、絶望していない。なんかしらんけど、生まれた以上「ギムがある」と。

おなじ「不可解」に行き着いても、そこからどう転ぶかは人さまざま。わたしはよく「むなしい」と感じる。だからといって、さほど悲観しない。自分にとっての「むなしさ」は「(笑)」に近い。喜劇的な感覚。お笑い文脈における「シュール」とも近いか。この世はとてもシュールだと思う。「不可解」としても、だいたいおなじだ。

「人間は何の為に~」とか「萬有の眞相は~」とか、でかいことを考えたときに浮かぶ「不可解」や「むなしさ」はつまるところ、畏怖なのだと思う。ようするに、「畏怖をどう処理するか」という話。具体的に思い浮かべてみる。たとえば、巨大な仏像を前にしてどうリアクションをとるか。わたしは笑ってしまう。「これぞ、この世を代表するシュールな光景!」と思う。五木寛之だったら、過去から連綿とつづく歴史に想いを馳せるのかもしれない。藤村操だったら、その不可解さに絶望するのかもしれない。

もっと身近な、月なんかを眺めていてもわたしは「おかしいな」と感じる。たぶん、五木氏は月を見つめて子孫を想うのだろうし、藤村操は絶望するのだろう。「人間は何の為に~」などと問うと怒る人もいる。考えるだけ無駄だと。そういう人は十中八九、仏像も無駄と断じるのではなかろうか。月を見ることも無駄であろう。

「畏怖は脳のリセットボタン」と、アニー・マーフィー・ポール『脳の外で考える』(ダイヤモンド社)に書いてあった。数日前すこし立ち読みしたとき、目に入った一行。リセット。畏怖とはつまり、価値観の見直しを迫られるような感覚といえる。

なにか大きなものと対峙するとき、どのような態度をとるか。畏怖をどう処理するか。ここにその人の価値観が色濃くあらわれそう。価値観の守り方、というか。

飲み会の与太話にでも使ってください。



11月24日(木)

晴れ。あたたかい日だった。強い陽射し。退色して青くなっちゃいそうなくらい。帰りの電車で、左隣に座る若い女性がうとうとしながら肩に寄りかかってきた。かと思うと、右隣の中年男性もうとうと寄りかかってきた。文字通り肩身が狭かった。みんなおつかれ。


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