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日記954




 十二月二日 晴

 朝五時半宿営地を発し酒安に宿営す 一昨日まで此の地には敵の敗残兵が居りし地なり耳をそがれた友軍の死体を見る


ある分隊長の手記より。
『彷書月刊 2003年3月号 特集 日記のぐるり』(弘隆社、p.31)に載っている。くだん書房の藤下真潮氏によると「この記録は、昭和十二年日中戦争の勃発により召集を受けた九州の教師であるK分隊長の一年余りの記録である」とのこと。1937年の12月2日。
 
淡々とした記録。耳のない味方の死体を見てどうだとか、感想は記されていない。死体を見る。以上。全体的にこの調子で、緊張感がある。「思い」は弛緩の産物なのだろう。戦場ではいちいち思いをめぐらせていられない。すべてが終わったあとに、無いことにした「思い」が症状としてあらわれるのかもしれない。

日本の軍人はよく日記をつけていたそうな。それを敵軍に拾得され、情報がつつぬけになっていたんだと、ゲンロンカフェで荒俣宏氏が話しておられた。へーと思う。対して米国の軍人は手紙をよく書いていたそうで、この差はおもしろい。

きょうは電車のなかで、中井久夫の『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫)を読んでいた。中井は「戦争に負けることほど、国民を我慢させ、勤勉にさせるものはありません」(p.308)という。さらに「残業とか、単身赴任とか、猛烈社員とかいうのは太平洋戦争の後遺症です。それ以前はそんなことはない。日露戦争の最中でも」(p.309)と。

この見方が妥当かどうかは措くとして、戦争というものは終結してもなお長期にわたって影響を残すものなのだろう。太平洋戦争の、敗戦後の影響下にわたしも生きている。つい近視眼的になって、自分たちの環境を歴史の流れに位置づけることなんか忘れがちである。


12月2日(金)

大久保にコンテンポラリー・ダンスの公演を観に行く。練習段階から何度か見学させてもらったやつ。会場はほぼ満員だったかな……。またの日に感想を書きたいと思う。書けない可能性もある。うとうとしていたお客さんが一斉に顔を上げるタイミングがあって、まるで振り付けられているようだった。終盤、音楽がガツンとくるところ。ご挨拶せずにぬるっと帰ってしまい、失礼だったかもしれない。すみません。少しとどまる、ほんの少しの気合いが足りなかった。

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