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日記960

 

父方の爺さんが撮った写真。

リアル・マウンティング。

 

 

 12月8日(水曜)

 朝食後、昼まで、残り三回となった雑誌連載の原稿を見直し、日本に送る。イシグロ論の出典の調査で、一個所、読んだ記憶のある発言が見つからない。ここにあると思っていたインタビューを入手したら、そこになかった。イシグロに詳しい教え子のM君に問い合わせのメールを送る。
 午後、洗濯に必要なクオーター(二五セント硬貨)を手に入れるべく、Aとともにダウンタウンのコインランドリーへ行く。住んでいるアパートの裏庭に住人用の大型洗濯機と乾燥機の小屋がある。コイン式で、洗濯機はクオーター六枚、乾燥機はクオーター四枚を要する。両方使用すると、一度に十枚。ファーマーズ・マーケットなどで機会があるたび、お釣りにもらい、ためておく。でも今回のように旅行帰りだったりすると、追いつかない。これまでにも、コイン欠乏の事態が何度か起こり、わざわざそのために、買い物に行くこともあった。色々考えた末に、そうだ、コインランドリーだ! と思いあたり、数日前の夜、このアイディアに二人、興奮して寝たのである。
 ウェブで、サンタバーバラ市中のコインランドリーを調べ、ここが良さそうという裏通りのランドリーを見つけ、到着してみると案の定、コイン両替機がある。しかし、当ランドリー利用者のみ使用可。素知らぬふりで、Aが四ドル分、私が四ドル分、コインに換え、早々に退散する。強盗団の気分。車内ではやった!と意気揚々。帰り、車内を清掃するというので、近所の車清掃ステーションに寄ると、何とこれがコイン式で、ここにもコイン両替機が二台もある。使用者制限の告知もない。さらに五ドルを両替。車を掃除し、小銭入れに入りきらないコインを抱えて帰ってくる。
 さっそく洗濯。夜、昨日購入したマグロを解凍し、ヅケ丼を楽しむ。
 今回の息子との旅行では、とにかく耳がついていけないことを痛感。何とかもう少し聞こえるようになりたい。精を出してラジオ番組を聞こうと、テリー・グロスのインタビュー、Radiolab をiPodにダウンロードする。

 

加藤典洋『小さな天体 全サバティカル日記』(新潮社、pp.253-254)より。2010年12月8日。加藤典洋このとき62歳。両替ひとつで、じつにたのしそう。

 

2022年12月8日(木) 

晴れ。満月。いろいろと意欲が減退してきている。お疲れ気味。加藤典洋をすこし見習いたい。会話の流れで、「そりゃ嫌いな奴はぶっ殺したほうが楽しいに決まってるじゃないですか! でもそれはしちゃイカンのです」と口走ると、「そんなこと思わないっすよ……」とドン引きされてしまった。「それならよかったです!」と取り繕う。

どんなふうに忘れるか。なのだと思う。すべては。1日のことを日記につづるのも、忘れ方のひとつ。忘れないように、ではない。「わたしはこうして忘れます」という、ひとつの態度。加藤典洋の12月8日は、だいたい両替の日だ。書かれていること以外にも、たくさんの微細な出来事や思索があったはずだけれど、書かれていることはほとんど両替のエピソードであり、この日はこのようにして失われた。

写真も「なくし方」だと、前に書いた。さいきんは、ぜんぶそうなんじゃないかという気がしてならない。失い方。どうやって失うか。すべての書物は「失われた時を求めて」なのではないか。表現はなくすことで彫琢される。日記はその日からのいなくなり方。足跡や残像のたぐい。つまりは死ぬことと見つけたり!


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