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日記961


 九日

 夜が明けて下向し山の中腹に立って與謝の海を見渡す。天ノ橋立は一文字に海をわたして遙かに切戸の森に接し、山廓水村があるいは遠くあるいは近く霧の間に隠顕してみえる。櫓声帆影が去来して蒼波の中に出没する有様は絶景などといってすまされるものではない。昨日は中野村から登ったが今朝は大垣村に下る。ともに十八町、けわしい道であった。国弊中社籠神社に詣でてただちに橋立を渡る。沙堤一里の間巌石なく、狭いところは十四、五間、広いところでも二、三十間に過ぎない。浪は千歳の松の根を洗い、白砂玉を磨き、風は孤客の衣をひるがえして蒼龍が海を渡るの趣がある。左右の海はひろびろして心気遠く澄み、身は羽化登仙するかと思われた。と、右の方に当って朝虹が立って又ひとしおの眺を添えるのであった。橋立の明神を拝し、切戸の文殊へは一町ばかりの舟渡しであった。

 橋立は切戸の浜と成相の山の仏の法の通路

 文殊堂の額に草体で帰真と大書し、九歳童卓蔵とあったが嘉永年間のものである。運筆自由闊達にして懐素も舌を捲くかと思われるほどであった。宮津に至るころ雨がひどく降りだした。宮津はもと本荘氏七万石の城下である。ここから由良へは七曲・八峠・伊文字坂など難所の道であったが今は新道が開けて車さえ通じている。由良獄を右に神崎山を左に見て、和江より旧道に入り蔵王峠を越えて舞鶴に出た。ここはもと田辺といって牧野氏三万五千石の城下である。愛宕山という湾の中に突き出た山がある。この山の東側が軍港となって鎮守府が設置されるということであった。今日は松尾寺まで行くつもりで急いだが、雨が降りだして道が捗らず入相の鐘をたよって倉梯の龍勝寺に投宿した。ここは師の坊(滴水禅師)が得度なされた寺で、いまの長老泰龍和尚はかねて相知の仲であったが今日は留守であった。留守番の弟子や客僧などが濡れたものを火にあぶってくれたり親切であった。今日は九里半。



高藤武馬『天田愚庵 自伝と順礼日記』(古川書房、pp.185-186)より。1893年(明治26年)12月9日。禅僧として西国順礼に出た天田愚庵の日記。愚庵は侠客・清水次郎長の養子で、次郎長の生涯を描いた『東海遊侠伝』の著者。歌人としても有名な人物。図書館では短歌の棚に置かれていた。

この本は漢文調の日記を国文学者の高藤武馬が現代語に訳したもの。高藤氏は愚庵に心酔しているようで、ところどころ熱い端書きがみられる。

 

 明治の文章は今日すでに古典の域に入りかけている。この不世出の大文章を少しでも多くの人に読んでもらいたいために、不敏をかえりみず敢て現代訳を試みた所以である。
――わたしは写経の気持でこれをうつしている。(p.75)

 

写経の気持ちでうつしたくなるのもわかる。愚庵がことばに残した道行きは慎ましく清らかに澄みわたっている。「天田愚庵」という名前は、不勉強ながら日記を探し始めるまで知らなかった。「毎日、その日の日記を引用する」と自分に強制したのは、このような出会いのためと言っていい。

強制すると、目が外へひらかれる。強いることはだるいものだけれど、それがなければおなじところをぐるぐるするだけに終始してしまう。といっても、相変わらず似た場所をぐるぐるしている感もある。変わらず図書館をうろついている。ちょっと目線が変わっただけ。

たとえば急にバ美肉おじさんとしてYouTuberデビューを果たしたら、それこそぐるぐるから抜けたと言える。次のステージへ……。しかし、そこまで目覚めたいわけではない。いや、目覚めたい気もする。目覚めたら目覚めたで、そこをふたたびぐるぐるし始めるのだと思う。結局はぐるぐる。うまくいけば。

そう、うまくいけばぐるぐる。たとえ悪循環であれ、ぐるぐるできちゃっているということは、なんか自分のなかで成功しているのだ。ぐるぐるは成功の証。では、1回だけの出来事は失敗? どうだろう。輪廻を考えると逆だ。輪廻からの解脱がしばしば理想とされる。ぐるぐるせずに1回で終わると幸せ最高ありがとうマジで! という考え方。そうした物語は多い。ループから解放されてハッピーエンドみたいな。

1回だけ、というと死を連想する。ちゃんと死ぬことがハッピーエンド? 生は世代をまたいで連綿とつづく、ぐるぐるしたものだろう。生きている以上、わたしたちは度し難くぐるぐるしている。ぐるぐるしてしまう。血液が循環する。拍動がつづく。いまも。あるいは1日という単位で太陽が昇ったり沈んだり。夜が来て朝が来て夜が来て……。月や季節もめぐる。

「たとえ悪循環でも、ぐるぐるは成功の証」という考えは、依存症の自己治療仮説に近い。ここからギャンブルを介して色川武大の世界観と等速円運動における落下のイメージ、あるいは宇宙の熱的死とかなんかいろいろ思いつくが、ねむたいのでやめる。連想が飛びまくるのは、疲れているせいだ。ブレーキが効かない。あたま湧いてる。もしかしたら、創造性を発揮できる最良のコンディションなのかもしれない。でも、疲れた。創造より睡眠。


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