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日記965


 

 

12月13日(木) 晴

 西洋叔父の所へ茶ブ台をとりに行く。その他バン、ナベなどを頂いて、リヤカーを引いて水道々路を走って居たら、城西から帰りの武藤と玉木に会った。しばし話して、17日に清流と一緒に横浜へ行こうなどと約して別れた。城西に通っている連中はずい分多い。自分の今の身はかなり幸福なものに違いない。家についたら、誰も居ないし猛然消耗した。これはやはり陽転のせいだろう。闇市でミカンを買ってきて武蔵を読んだ。一時間程休んでリヤカーを返しに行く。水道々路の気持のよい片すみに腰を下ろして弁当を食べた。体が弱っていると云う事は悲しい事だ。
 帰りは明大前から井の頭線で吉祥寺へ出た。遠く紫の秩父の山の彼方に富士が小さく浮んで見えた。明日も晴れるだろう。夜は吉田絃二郎の「多磨のほとり」を読み始めた。

 

 

北杜夫『憂行日記』(新潮社、pp.94-95)より。1945年(昭和20年)12月13日。「武蔵」は、吉川英治『宮本武蔵』のこと。古い日記だが、2021年に出版されたもので本としてはあたらしい。出版社の紹介文には「北杜夫18歳の息遣いを伝える」とある。この本にかぎらず、日記にはその人の息遣いそのものがあらわれているように思う。

『憂行日記』の後半は、もっぱら詩のようにしたためられている。目に止まったものをひとつ引く。たとえばこんな。

 

11月15日

私は雨にも負けてしまふし
風が吹けば飛ばされさうだし
暑ければぐつたりするだらうし
雪なんか降らうものなら忽ち風邪を引く
米はありさへすればいくらでも食ふし
ミソや少しの野菜ではとても承知できない
でもどうしてこんなにも
本当にこんなにも
あの詩が死ぬほど好きなのだらうか

いい気なものさ
全くいい気なものさ
今にも 何もかもが根底からひつくりかへると言ふのに
そんな夢ばかりみてゐて
現実の世界には通用しない
妄想ばかりしてゐて
一体どう言ふ気なの
でもこれが僕の本領で
これなくては 僕の一切が
全く消滅すると云ふのだから
まあ しかたがないと言ふものさ と
まだそんなことを言つてゐるつもりなの

代用灯が唯一のたより
あんまりひんぱんの停電に
もう腹さへ立たなくなつてしまつた
いい気なものさ

(p.288)

 

1947年(昭和22年)11月15日。幻滅と、滅することのない幻とのあいだで揺れる心象。それをユーモラスに描く。わたしにも似たような気持はある。ほど遠いし、とくになりたくもないけれど、「サウイフモノニワタシハナリタイ」というあの詩が好きだ。なぜだろう。とても力強い未然の詩。まだそうではない。わたしはなりたい。いうなれば夢の話だ。夢をみていたいのかしら。


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