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日記969


 

浮遊 1996.12.17
 どうしてだろう。どこまでも浮遊していくわたし。ことばがでてこない。なにかをかたちにしたいのに、とりこむことしかできないの? そうしてとろとろとのみこんでいくの。けれどいちばんに欲しいものは手にはいらなかった。ずるりと腕から落ちていって、わたしは懸命に掴みあげようとしたけどそれはなにものこさずに消えていった。ちがう。それはうそ。それはわたしのなかに侵入したのだった。いまもなかに棲んでいる。のみこんだことをどうしてそんなにかくしたがるのかわからないけど、たぶんそれは両方なのだ。中にいて外にいるもの。外にいて中にいるもの。じゃあ中と外を区切るものはなんなの? わたしのからだ? 皮膚が外気から内臓をまもっているように、それは皮膚の外側と内臓の中に息づいているの? いつも見る夢は、自分の尾をくわえた蛇が頭まで飲み込んで裏返る夢。わたしのなかにも蛇がすんでいるのかもしれない。

 

∀∀ ユメノツヅキハオモイデナノカ
 ∀∀∀∀∀ ユメノツヅキハオモイデノハルカ
     ∀∀ ユメノツヅキハオモイデノカナタ。



『デュラスのいた風景 笠井美希遺稿集・デュラス論その他 1996~2005』(七月堂、pp.310-311)より。詩人・笠井嗣夫が編んだ、娘の遺稿集。笠井美希は2005年に28歳で亡くなっている。引いたのは夢日記のような断片。これを読んですぐに思い出すのは二階堂奥歯だ。彼女もよく似たイメージを日記に書いている。

 


魔法が解けた。

ウロボロスの蛇が自分を飲み込み飲み込み、ついに消えてしまうところを想像する。
最終的には、口から裏返り、くるくると身体を巻き返す形になるはずだ。
その時には、内側は外側になる。
それまでの蛇の中味はなくなるが、世界が蛇の中味になる。

自分の中に潜ってゆく、どこまでも潜ってゆくと、くるんとひっくり返って、内側が外側を向く。
そうだ、私の身体は無に向かって収縮し、溢れ出したものは世界に浸透する。
しかしそれは難しいことだ。自分の内側に入っていくための扉を私はなかなか見つけることができない。 

 

 八本脚の蝶 ◇ 2002年7月12日(金)

 

なにか身体的な違和をつたえているのだと思うが、わたしにはよくわからない。ウロボロスの蛇が裏返る。あまりにそっくりなお話。ユングでも参照すれば適当なことは言えるか。なんでしょうね。 

 

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