スキップしてメイン コンテンツに移動

日記971


 

  十二月

 水浦神父からOKの返事。

 『マロニエの花が言った』を読みだす。ゆっくり、ゆっくり。何と、たのしいことか。これが机上にあるのを見るだけで、仕合わせ感。パリが、その中にある!
 きっと、そのせいだろう、フランスを舞台にしたフランス人の男女カップルの小説が、茫洋と生じてくる。『君の中の見知らぬ女』。このタイトル。そして同じタイトルの詩が、ペン先から迸り出る。詩だけが、まず出来る。これは二〇〇一年に本にしてもらおう。来年はまるまる文学では沈黙となろう。

 『私の通った路』本となって出る。横尾忠則さんのカバー装幀すばらしかった。この絵を彼のカードで見て以来、強烈に私は惹かれていたので、その絵を、と彼にたのんだのであった。
 贈った人々から、ぽつぽつ礼状が来る。そのことで、この本へむけて、私自身の思いが輪になって集まり広がる。
 「あとがき」のところを何度か読み返し、ぼんやり思っていると、夜になって、ふいに、何処かヨーロッパで生まれ変わった人=私が、今、ここ、この家の机の上にあるものを、仄かに仄かに思い出している気分になってくる。この私はもう居なくなっていて、三十年か四十年後、その人が、なぜ思い出すのかまったくわからない、ここ、この家の、机の上にあるものを思い出し、あ、そうそう、澤田和夫神父さんという人がいたっけ、と、『私の通った路』への、彼のお礼状の(きっと装幀の絵にある悪魔のようなイメージについてなのだろう、悪魔とはキリスト風呂にとび込んでくる✕✕✕魚だ、とだけ書いた、✕✕✕のところの読みにくい字を、私が判読しようと努力していたからだろう――)その字づらを、何処かヨーロッパで生まれ変わった人が見ている。でも、その人(つまり私)は、現在、ヨーロッパ人で観想修道女。なぜ日本のことなど「思い出す」のか? と思っている。行ったこともない、まったく知らない日本の、ここ、私の居る家の、夜の時の中に置かれているものを、なぜ「思い出す」のか?



『高橋たか子の「日記」』(講談社、pp.271-272)より。1999年12月のいつか。高橋たか子はカトリックの洗礼を受け、Wikipediaによると81年からフランスで修道生活を送っていたそうだ。「Wikipediaによると」って、おまぬけな情報源だなあ。文字を読み、思い出す。その錯綜した感覚がつづられている。というか、たんに高橋たか子は日本がお嫌いらしい。

 

コメント