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日記979


  一九四三年十二月二十七日、月曜日――
 金曜の夜、生まれてはじめてクリスマスの贈り物をもらいました。クレイマンさん、クーフレルさん、そしてミープとベップ、みんなが今年もわたしたちには内緒で、思いがけない贈り物を用意してくれたんです。ミープは、すばらしいクリスマスケーキをこしらえてくれました。表面に、「平和、――一九四四年」という文字が書かれています。ベップのくれたのは、戦前のような甘い上等のクッキー五百グラムほど。
 そのほか、ペーターとマルゴー、そしてわたしには、ヨーグルト一瓶、おとなたちにはビール一本ずつ。ぜんぶがとてもきれいに包装され、一包みごとにカードが飾られていました。こんな贈り物をもらわなければ、クリスマスはわたしたちの知らないうちに過ぎてしまったことでしょう。

アンネ

 

アンネ・フランク『アンネの日記 増補新訂版』(深町眞理子訳、文春文庫、p.268)より。いままで取り上げたなかでは、もっとも有名な日記だろう。しかし、「です・ます体」はめずらしい。日記の文体はたいてい、もっと殺伐としている。少女らしさを出すために、「です・ます」で訳したのだろうか。誰かに語りかけるようにつづられている。

ことし9月に出版された、平尾昌宏『日本語からの哲学 なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?』(晶文社)という本は、このあたりを考えるうえでヒントになりそう。いつか読むリストに入れている。目次を見るとズバリ、「女子ども向き」説という章がある。そろそろ買おうか。時が来たか。〈です・ます〉と〈だ・である〉のあいだには深い溝がある。それは感覚的にわかる。でも、あまり深く考えたことはなかった。

 

12月27日(火)

電車のなかで、立ったまま寝てしまった。めったにないことだ。疲れている。日記にはまったく書かなかったけれど、ちょっと前Covid-19に感染した。それがまだあとを引いている。年末はゆっくり休みたいと思う。ことしの春頃から謎の疼痛もつづく。こっちは慣れてきた。体はだんだん壊れていく。

きょうの電車。21時ごろ。某駅から薔薇の花束を抱えた女性が乗り込んできて、車内の空気が一変した。マスク越しでも、ほのかに香る。なんかおめでたいことがあったのだろう。香りだけ、おすそわけしてもらえた。彩りもよかった。日常に文字通り、花を添えていただく。

スーパーでケーキを買って帰る。なんとなく。疲れているときには、花かケーキを買うようにしている。それを思い出した。 


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