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日記980


 十二月二十八日(金)

 電灯に関する故障――二つ。この何でもないことなのに、とても、神経的に、きつい。じぐざぐするような状況。やっと電気屋が来て、なおり、このことから解放。(さいきん電気器具の中がコンピューターになっているせい――私の嫌悪するコンピューター社会の、一つの相)。

 

高橋たか子『終りの日々』(みすず書房、p.122)より。2007年12月28日。高橋たか子は2013年に亡くなっている。これは最晩年の日記。気落ちしているとき、何でもないことがこの世の終わりのように迫ってくる経験はわたしにもある。たまに。しかし、この日記は全体的にこんな調子で、「とてもよく老いておられるなあ」と感じる。嫌味でもなんでもない。ひたすらに老いの様式を見せてくれている。老人は一般に頑迷固陋だ。その頑迷さが、固有の歴史を物語る。その人が歩いてきた道として、できるだけ傾聴したく思う。


12月28日(水)

午前中、頭がくらくらしていた。しごとを終えて、奥渋谷の本屋さんSPBSへ。友人の選書フェアで1冊買う。ロジェ・カイヨワの『石が書く』(創元社)が売り切れていた。ほしいなと思いつつ、値段を見て逡巡している本。数年後にはもっと高騰していそうなので、定価で買えるいまがチャンスだろう。とわかっていながら、そのカネすら渋ってしまう。図書館で借りるだけでも十分だけど。『石が書く』を見かけるたび、おかねのなさを痛感する。

SPBSに寄り道するタイミングは、きょうしかなかった。かつてなくせわしない年末。貧乏暇なし。体調を崩して動けなかったせいなんだけど、また崩しそうな予感がする。頭が重い。予感にとどめたい。全力で寝る。


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