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日記981


 十二月✕日

 冷たいので電燈に手をかざして温めました。とてもきれいなのに気がつきました。薄くなつて血管のふくらんでゐる赤い指。拡げたり揃へたりしてゐたら合弁花冠のやうに美しく咲いておりました。大切にしやうと思ひました。
 花屋の花だの他家の庭の花を美しく思つたり、欲しくなつたりばかりしてゐる私。
 夜更かしをしては西洋の音楽家の伝記を読んでおります。えらい人ばつかりです。それはおとぎばなしを読んでゐるやうに面白い。


島田龍編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、p.200)より。「冬の日記」。『今日の文学』四巻二号(三四年二月一日)に発表、とある。ということは、1933年(昭和8年)の12月か。左川ちかは、1936年(昭和11年)1月7日に満24歳10ヶ月で没している。

わたしが初めてこの詩人を知ったのは、リリカという人のサイトだった。いまも archive.org で部分的に読める。

リリカの私家版 private edition by Ririka

一時期、この人のはてなダイアリーをよく読んでいた。なつかしい。

山形浩生が「異様に頭がいい」とほめていたことを鮮明に憶えている。その文章も、探せば見つかると思う。あった。以下、引用。

 

(コメント:某お嬢ちゃんに申し上げておくけれど、実はこういうことはあんまし言われていない(稲葉振一郎ならたぶん、すでにこういうことを言っている人をたちどころに 10 人くらい挙げるかもしれないけれど、でもメジャーではない)。なぜかというと、世間というのはあなたが想像しているよりはるかに頭が悪いから。あなたは自分が(少なくともいまのところ)異様に頭がいいということを自覚する必要があります。あなたが当然のように一瞬で思いつくことも、世間では実は認識されるまでに 5 年、さらにそれがきちんと文献化されるまでに 10 年かかったりするのです。(ちなみに、あなたがそのリードをいつまで保てるかは必ずしも明らかではないので、あまり天狗にもなりませぬよう。ついでに言えば、頭がいいというのは幽霊が見えるのと同じで、必ずしもいいことばかりではありません。どうして他人は当然わかるはずのことがわからないのだろうと、他人のわからなさ加減の見極めにずいぶん悩むことになります)。

https://cruel.org/asahireview/asahireviews04.html


引用おわり。

「某お嬢ちゃん」はリリカさんのこと。わたしは幽霊が見えるタイプではないが、いい感じの幽霊を見せてくれる人間なら、なんとなく見える。たまにネット上で謎の才人を見つけては黙々と嗅ぎ回っている。

「左川ちか」なる昭和初期の詩人も、リリカさんがその感性で見せてくれた幽霊のひとつと言える。書肆侃侃房の『左川ちか全集』は、ことしの4月に刊行された。それで久しぶりに「リリカの私家版」を思い出し、へんな感慨にふけっていた。わたしのなかでは「左川ちか」といえば「リリカ」が連想される。自分のほかにも同類はいないかとtwitterで検索してみたが、いないようだった。あるいは黙して語らないか……。 

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