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日記982


 

十二月三十日

 家には母がゐた。母から金をおろすやうにいはれて郵便局へいつたが、硝子の向うで局員達は火鉢に当たつて雑談にふけりながら「今忙しいから駄目だ」と断る。自分はそこを離れてとある草山の中へふみこんでいつた。自分のそばを歩いてゐるのは、支那人の子供のやうな顔見知の軍属だつた。草山はばうばうとすゝきがのび、自分らのあるいてゐる細いみちの両側にはそのすゝきのかげに白と黒の斑牛がつながれて何匹もうづくまつてゐた。私は誰かをさがしてゐたのだつたが、さういふ、不気味にだまりこんだ大きな牛のそばをあるくことは堪へがたい気持だつた。そのうち左手に牛の向うに数十匹猫がむらがつてみえた。すると軍属の少年は「あ、ゐた」と叫ぶなり忽ちまりのやうにそちらへかけていつたとおもふと、もう一匹の猫となつて、その群の中に消えてしまつた……。
 警報でおこされるまでそんな夢をみてゐたのだつた。

 

 

『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』(河出書房新社、pp.165-166)より。

 

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