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日記990


人からは「さびしい」と言われる。写真のこと。いろんな人に、何回も言われた。自己分析に時間を費やすより、他人に聞いたほうがよほどクリティカルなことばが得られる。たったひとことであれ。「さびしい」。そんなつもりはないけれど、その通りかもしれない。

「さびしい」と言えば、ヘルン(小泉八雲)を思い出す。妻の小泉節子が回想する彼の姿。とてもさびしくて、素敵だ。

 

 熊本で始めて夜、二人で散歩致しました時の事を今に思い出します。ある晩ヘルンは散歩から帰りまして『大層面白いところを見つけました、明晩散歩致しましょう』との事です。月のない夜でした。宅を二人で出まして、淋しい路を歩きまして、山の麓に参りますと、この上だと云うのです。草の茫々生えた小笹などの足にさわる小径を上りますと、墓場でした。薄暗い星光りに沢山の墓がまばらに立って居るのが見えます、淋しいところだと思いました。するとヘルンは『あなた、あの蛙の声聞いて下さい』と云うのです。
 又熊本に居る頃でした。夜散歩から帰った時の事です。『今夜、私淋しい田舎道を歩いていました。暗いやみの中から、小さい優しい声で、あなたが呼びました。私あっと云って進みますとただやみです。誰もいませんでした』など申した事もございます。

小泉節子 思い出の記

 

はじめてこれを読んだとき、悶絶した。いま改めて読むと、親しい人に「大層面白いところを見つけました」と声をかけて墓場まで歩き、蛙の声に耳を澄ますようなことは、わたしもやりかねない。この境地には達した気がする。しかしまだ、「あなたが呼びました。(……)誰もいませんでした」の境地には達していない。こっちは時間の問題で、運良く老いてボケたら自然と到達するだろう。

一般に「さびしい」と言うと否定的に響くけれど、「思い出の記」に頻出する「淋しい」は受容的なニュアンスで使用されている。ヘルンは淋しさを慈しむように生きていた。その姿を思い返す小泉節子の「淋しい」にも熱が込もっている。それは埋めて無くしたいような感覚ではない。そこらじゅうにある。好むと好まざるとにかかわらず前提として、つねにある淋しさなのだと思う。

「埋めて無くしたい」という意力が高まると、おそらく「淋しい」は「恋しい」に変わる。九鬼周造の分析が念頭にある。 


“「恋しさ」が、対象の欠如を基礎として成立している事実は、情緒の系図にあって大きい意味をもっている。それは「恋しい」という感情の裏面には常に「寂しい」という感情が控えていることである。「恋しい」とは、一つの片割れが他の片割れを求めて全きものになろうとする感情であり、「寂しい」とは、片割れが片割れとして自覚する感情である。”

 

『「いき」の構造 他二篇』(岩波文庫)より。「寂」と「淋」で漢字が異なるけれど、ここでは同じとしておこう。強い求心性をともなう「さびしさ」が「恋しさ」である、と言えるのかもしれない。きっと、「さびしい」という感情の裏面にもつねに「恋しい」の萌芽がある。しかし、その色はとても淡い。とどかない距離の自覚とともにある心の機微が「さびしさ」として現れるのではないか。

「思い出の記」にある「淋しさ」にも、消え入りそうな淡い「恋しさ」が含まれている気がする。遠い存在を思う、どうやっても成就しない「恋しさ」。

 

 ヘルンは虫の音を聞く事が好きでした。この秋、松虫を飼っていました。九月の末の事ですから、松虫が夕方近く切れ切れに、少し声を枯らして鳴いていますのが、いつになく物哀れに感じさせました。私は『あの音を何と聞きますか』と、ヘルンに尋ねますと『あの小さい虫、よき音して、鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、段々寒くなって来ました。知っていますか、知っていませんか、直に死なねばならぬと云う事を。気の毒ですね、可哀相な虫』と淋しそうに申しまして『この頃の温い日に、草むらの中にそっと放してやりましょう』と私共は約束致しました。

 

「さびしさ」の前提には、「別れ」がある。「恋しさ」は逆に、「出会い」を物語る。だから、この両者は不可分なのだと思う。

 

 


 亡くなります二三日前の事でありました。書斎の庭にある桜の一枝がかえり咲きを致しました。女中のおさき(焼津の乙吉の娘)が見つけて私に申し出ました。私のうちでは、ちょっと何でもないような事でも、よく皆が興に入りました。『今日籔に小さい筍が一つ頭をもたげました。あれ御覧なさい、黄な蝶が飛んでいます。一雄が蟻の山を見つけました。蛙が戸に上って来ました。夕焼けがしています。段々色が美しく変って行きます』こんな些細な事柄を私のうちでは大事件のように取騒ぎまして一々ヘルンに申します。それを大層喜びまして聞いてくれるのです。可笑しいようですが、大切な楽みでありました。蛙だの、蝶だの、蟻、蜘蛛、蝉、筍、夕焼けなどはパパの一番のお友達でした。

 

 
「夕焼けが一番のお友達」などと言うと、いまどきの感覚では「さびしいやつだ」と思われるだろう。「思い出の記」が世に出た1927年(昭和2年)の時点でも、もしかしたら変わらないのかもしれない。その通り「さびしいやつ」なのだけれど、ここではヘルンの「淋しさ」を中心とした家族のつながりが描かれている。

「恋しさ」が喜びにも悲しみにも転びうるように、「さびしさ」もまた喜びにも悲しみにも変化する。「思い出の記」においては、喜ばしい「淋しさ」が素朴に描かれる。そこがすばらしくて、何度も読み返したくなる。 

わたしの写真が「さびしい」のだとしても、物哀しいよりは、喜ばしいさびしさであると良い。そう願う。といって、物哀しさも嫌いではない。物哀しさは、可笑しさに通じるから。単に「さびしい」とか「哀しい」とか、それだけではつまらない。ネガとポジが通じる運動をつくりたいとはつねづね思う。文章を読む/書くうえでも、逆理や矛盾を好んでしまう。矛盾や葛藤がないと、嘘をついているような気がする。

介護施設にいる認知症の祖母と面会するたび、矛盾した心象をじかに感じる。「こんな施設はもういやだ」と顔をしかめたかと思うと、数秒後には「ここの人はとても親切でよくしてくれる」とにこやかに話す。秒で矛盾する。どちらがほんとう、ではない。両方あるのだ。

祖母はいつも、そうやって思考の祖型をむき出して見せてくれる。わたしの内にも、何もかも放り出して蒸発したい思いと、いまの生活をつづけていたい思いと両方あるから、なんとなくわかる。めっちゃ両方ある。 

「ないことにしない」ということが、なによりたいせつだと感じる。思いを殺して、ないことにすると、ゆがむんだ。いますぐ死んでしまいたい気持ちも、あと5億年くらい生きていたい気持ちも、両方ある。このあいだで、心はずっとうろうろと逍遥しつづける。それでいいのだと思う。

人の話も、できるかぎりそうやって傾聴したい。一面的ではありえない。ひとつひとつのことばの「対」を浮かべるように。愛があれば憎しみもあるし、喜びがあれば悲しみもあるだろう。「ふたつでひとつ」の想像をはたらかせながら聴いたり読んだりする。心はつねに、狭間で生じるものではないか。二元的人間観。自分自身へ向けるまなざしと、他者へ向けるまなざしはほとんど変わらない。

中井久夫の本にあったポール・ヴァレリーのことばが思い浮かぶ。「われわれは自分と折り合える限度によってしか他人と折り合えない」。出典は忘れた。記憶で書いたので不正確かもしれない。でも、大意は外していないはず。

写真について考えたかったはずが、さいごはなんだかお坊さんの法話みたいな記事になってしまった。ヴァレリーのことばは、お寺の掲示板に貼ってあってもおかしくない。「われわれは自分と折り合える限度によってしか他人と折り合えない」。仏教っぽいバイブスを感じる。修行と親和性が高い。今月のありがたいお言葉。3月に入りました。

 

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