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日記1004 仮装、むなしさ、UMAと遭遇


10月29日(日)

ゾンビの仮装をして楽しそうに歩く若い女性たちを見かけた。この時期、仮装した人々を見かけるとなんだかハラハラしてしまう。むなしくならないかと。たとえばゾンビのままトイレで用を足し、手を洗うとき。鏡にうつるその姿を見て、ふとしたむなしさにとらわれることはないだろうか。そんな人間はそもそも仮装しないか。

想像するに、飲み会の帰りに感じるむなしさと似ている。素面にもどるとき。あるいは、コインランドリーのベンチでぼーっとしているときや、喫煙所で缶コーヒー片手に鳩を眺めているときなどにもやってくる。動物園でゾウの目をじっと見ていたときにも似たような感懐を味わった。

なんというか、意味のつなぎ目がほつれるようなとき。むなしい、とはいえ悪いばかりではない。つくろいから解放される。息をつける。自分がなにひとつ持っていないことを、教えてくれる。ほつれたままだとたいへんだけれど、たいていはつくろいなおせる。

たぶんわたしは、意味がほつれやすい。非力でつなぎ目がゆるいため、いつもがんばってつくろわないといけない。ともすれば、仮装者たちの姿からみなぎる共通了解の強度に気圧されてしまう。そこには人と人との緊密な意味の編み目がある。むなしくならないか? なんて、へんな心配は自己投影なのだった。

しかし、やはり、空虚な時間は誰にでもおとずれるものではないか。



意味のつなぎ目がほつれるとき。人がふと見せる、そんな束の間の姿に惹かれる。群れから離れ、ひとり静かに信号を待つ暴走族みたいな。無心で、いたいけで、非力な魅力がある。見たことないけど。もうすこし一般化すると、帰り道にひとり放心状態の人。

あるいはスーパーのバックヤードでぼんやり煙草を吸う店員さんとか、お昼休みに公園のベンチでカレーパンを頬張るスーツ姿の男性とか。無防備なひととき。そのあいだだけは、どんな人でもいとしく思える。眠る姿は、その最たるもの。

そういえば、数年前にtwitterで「Keyif」ということばを拾った。



なにもしない。ときにむなしかったり、さびしかったり。わたしはそういう時間を、どちらかといえば好ましく思う傾向がある。自分にこびりついたものが揮発していく。幼いころ、「やつらの足音のバラード」が好きだった。「なんにもない大地にただ風が吹いてた」。古代も現代も、きっと地球の態度はそんなに変わらない。どんな善意もないが、悪意もまたありはしない。ただ隅々までびっしりと細部の詰まった、巨大な空白があるばかり……

「あの人たちの言ったことはただの風だよ」。先日、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』を再読していた。いま思い出せるのは、この一行だけ。ずいぶんまえに古本屋で買った87年の岩波文庫。とびらに書き込みがあった。「サラリーマン7年目の迷い、として」。まったく知らない人の私的な筆跡が手元にある。ふしぎな感じがする。ブログやtwitterなどのweb上の書き込みもそうか。まったく知らない人の、私的なことばがそこらじゅうに転がっている。

わたしが好ましく思うのは、私的な「その人」があらわれる時間なのだと書きながら思った。それは一般に「さびしい」とか「むなしい」とか思われがちな、持て余したような所在ないとき。共通の所在から、ひとり離れて弱くなるとき。肩書も名前も失い、たたずむとき。生きているのか死んでいるのかもわからないような、迷えるとき。得も言われぬ孤独。それを「好ましく思う」なんて、残酷かもしれない。

 

 “生きていたくもなければ、死にたくもない。この思いが毎日毎夜、わたくしの心の中に出没している雲の影である。わたくしの心は暗くもならず明くもならず、唯しんみりと黄昏れて行く雪の日の空に似ている。”

 

永井荷風の随筆「雪の日」を思い出す。11月にさしかかり、ようやく寒さを感じる。この10月はあたたかく過ごしやすい陽気がつづいた。いつも横切る墓地の隅には、立派なすすきが生え揃っている。軽やかに揺れるようす見ると、「をりとりてはらりとおもきすすきかな」という句がよぎる。すすきの重み、感じたことがない。こんど折ってみよう。

10月25日(水)に立ち寄った古本屋さん。横浜伊勢佐木町の雲雀洞で、長田弘『私の二十世紀書店』(中公新書)とガルシア・ロルカ『ニューヨークの詩人』(鼓直訳、福武文庫)を買った。店内では、おじさんたちが楽しそうに漫画を漁っていた。外のワゴンでは、白髪のおじいさんが「なつかしいなー」と言いながら『映画の友』を読んでいた。

お金を払ったあと店主に話しかけたところ、このブログを読んでいるのだそう。不意打ちをくらう。失礼ながら、UMA(未確認生物)と遭遇した気分。「読者」という謎の生物がほんとうにいた。伝説上の存在かと思っていた。確認したので、もう未確認生物ではない。確認済み生物です。いい古本屋さんです。横浜まで定期的に行く用事ができたため、ちょくちょく寄ろうと思います。

 

 

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