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日記1014

2024年1月1日(月)

部屋の整理をしていたら、11月の文学フリマで吉川浩満さんから「金のインゴットです」と手渡されたオマケが出てきた。謎の購入特典。適当に「おお、うれしい!」などとリアクションして受け取ったものの、これがなにを意味するのかわからずにいた。小さな金のインゴット。まさか本物の金ではあるまいし……。まあいいやと放り出して、そのうちに忘れていた。

まじまじ眺めると、「FINE GOLD」の文字。その下に「YAOKIN」とも。やおきん? 聞いたことがあるような。調べると、うまい棒で有名なお菓子のメーカーだった。ハッとする。お菓子にまったく興味がなく無知であるせいで年明けまで温存してしまった。このインゴット、剥けるぞ! 中身はなんとチョコレートだったのだ! 知っている人からすれば「アホか」と思われそうだが、「こんなチョコあるんだ~」と感激してしまう。久しぶりにお菓子を食べた。インゴットの謎が解明され、ささやかながらおめでたい1年の始まり、ということにしておこう。「アホ」という意味でもおめでたい。

それにしても「お菓子にまったく興味がない」と書いてみると、ずいぶん冷たい感じがする。ともだちがいなさそうな感じもする。社交を拒む感じ。じっさいそうかもしれない。もうすこしお菓子に興味をもったほうが社会的に成功しそうである。心がけよう。笑顔でお菓子をふりまくあたたかみをもちたい。

くしゃくしゃになったインゴット風の包みを眺めながら、お菓子のない日々を過ごしてきたなあと、ぼんやり思う。お菓子のある日々を過ごす人からすれば、お菓子のない日々は索漠たるものに思われるだろう。でも、その索漠に慣れきってしまった。わたしはお菓子のある日々の自分がもはや想像できない。自分のような人間がそっちへ行ってもよいものだろうか。お菓子ひとつの内に深い溝を感じる。

ここ数年、路上に転がるお菓子のゴミは目に入るが、ゴミ以前の現役お菓子には目もくれなかった。ふつうは逆だ。ゴミばかり構っていて、おかしいな(お菓子だけに!)。すこしくらい市販のお菓子にも目を向けようと思う。ふところに飴でも常備しておく。

 

 

元日にここまで書いて更新せず放置していた。そろそろ1月が終わりそう。本日は1月29日(月)。気力があまりない月だった。できるだけ穏やかに暮らしていたいと願う。

何週間か前、『フィリップ・K・ディックのすべて ノンフィクション集成』を読んだ。「二日後に壊滅しない宇宙の創造法」という講演録のなかに、「にせのにせもの」なる話題がある。それが興味深かった。

 

 “創作をつづけていくうちに私はにせものに強い関心を抱くようになり、ついに、にせのにせものというコンセプトにとらわれるようになりました。例えば、ディズニーランドには、そばを通ると電気モーターが働いてキーキー、カーカーと鳴き声をあげるまがいものの鳥がいます。ある晩、本物の鳥を持ってそこへ忍び込み、そんな人造の鳥と取り替えてしまったらどうでしょう。ディズニーランドの職員がこんな残酷な悪ふざけを発見したときの恐怖たるや、いかばかりのものか想像してください。本物の鳥がいる! いつの日か本物のカバやランオンも。肝を潰すこと必定です。薄気味悪い連中によって非現実から現実へ巧妙に変貌したディズニーランドになるのです。また、そこのマッターホルンが雪をいただく本物の山に変わったらどうでしょう? 神の力と英知のもたらす奇跡により、瞬時に、まばたきするまに全体が不滅なものに変わったら、閉鎖を余儀なくされるでしょう。”(p.357)

 

「トラウマの話だ」と直感する(元の創作の文脈からは逸れるけれど)。疑いようのない本物はおそろしい。あるいは出来事でも、疑いようがないとつらい。日々を過ごしながらよく、人々は虚構に守られているのだと感じる。言い換えると、「疑える余地」に守られている。「反復の余地」でもいいか。「べつの可能性の余地」というか。それがなくては、ことばを失うほかない。

『災害がほんとうに襲った時』という中井久夫の著書がある。「災害が襲った時」ではなく、「ほんとうに」が入る。ディックの語る「にせのにせもの」を読んで、この「ほんとうに」を思い出した。災害がほんとうに襲ったとき、人はしばしば、うそみたいだと思ってしまう。そんなわけないと。うその余地をほしがる。日常の反復を阻害する「ほんとう」の顕現はあまりにつらく、トラウマティックなことだから。

死別もそう。そこからの回復は、疑いの余地をとりもどす過程なのだと思っている。自分の経験としても、そうかなと。別れてまだ日が浅いうちは、「もういない」という疑いようのない「ほんとう」が際立つ。時間が経つうちに、厳然たる事実がすこしずつやわらぐ。もちろん、いないものはいない。でも、あなたの痕跡はいまも見つかる。過去が現在に浸潤し、境界が曖昧になりゆくような感覚だろうか。

もうひとつ想起したのは、精神科医の神田橋條治が診断について語っていたこと。

 

“ボクは、「精神分裂病(統合失調症)だと思う」という診断を二〇年も前から、本人に言うようにしているけれど、パニックなんか起こらないよ。だけどまあ、他の精神科医が伝えると起こるらしいんだけどね。「なぜ、ボクが伝えて起こらないのかなあ」と思っていたけど、ボクは、「分裂病(統合失調症)」って何のことか全然分かっていない診断名だと思っていますので、言うときに、あんまり診断が決まったという雰囲気では言わないの。こちらがそんな気せんからね。「まあ、今んとこ、強いて名前をつけるなら、分裂病(統合失調症)だろうね」というような感じです。” 『神田橋條治 精神科講義』(創元社、p.123)

 

決定的な雰囲気で診断をくだすとパニックが起こるが、疑える余地を残してふわっと伝えればパニックにはならないのだと。「疑える余地」とは、「希望の余地」とも言える。わからん、という可能的な余地。診断は烙印ではない。とかく、可能性が塞がれるとつらいのではないかと想像する。

パニック障害の発作は「すべての可能性が塞がれる感覚」なのだと経験的に思う。いや、一般化できるかわからない。あくまでわたしの場合。逃れる先がなくなる孤絶感。自分が自分でしかなく、ディックの話に引きつけて言えば「本物の自分がいる!」と死ぬほど驚愕するような。逆にいうと、それしかいない。ただひとり。肝を潰すこと必定です。

人間にとっての可能性とは何か。それはすなわち、他者のことではないかとわたしは思う。自分ひとりでは、なんの可能性も見出せなくなる。考えてみればあたりまえかもしれないが……。わたしはわたしでありながら、あなたの可能性を担う者でもある。そしてあなたもまた、わたしの可能性を担う。すべての人は、自己の可能性と不可分に結びついた他者の可能性を担っている。良くも悪くも、否応なく。

谷川俊太郎の「私は私」という詩を、年に1回は引用している気がする。いや、昨年はしなかったかな。まあいいや。

 

“私は自分が誰か知っています
いま私はここにいますが
すぐにいなくなるかもしれません

いなくなっても私は私ですが
ほんとは私は私でなくてもいいのです
私は少々草です
多分少々は魚かもしれず
名前は分かりませんが
鈍く輝く鉱石でもあります
そしてもちろん私はほとんどあなたです

忘れられたあとも消え去ることができないので
私は繰り返される旋律です
憚りながらあなたの心臓のビートに乗って
光年のかなたからやって来た
かすかな波動で粒子です

私は自分が誰か知っています
だからあなたが誰かも知っています
たとえ名前は知らなくても
たとえどこにも戸籍がなくても
私はあなたへとはみ出していきます

雨に濡れるのを喜び
星空を懐かしみ
下手な冗談に笑いころげ
「私は私」というトートロジーを超えて
私は私です”

 

わたしはわたし、でありながら、じつはそんなにわたしではなく、あなたもそんなにあなたではない。「個人」という考え方を二人称までの範囲内でもうすこし緩めたいと、いつも思っている。私的な心の処方箋として。わたしたちは意図せずはみ出し合う性質をもつ。

ひとつしかない本物は、はみ出さない。本物はそれ以上つながれない。行き止まりなのだ。真実という行き止まり。それはわたしだけの、あなただけの価値をもつ。一方でその「真実」は危うく、息苦しくもある。そういえば、詩人の長田弘が「ニセモノの明るさ」ということについて語っていた。

 

“ホンモノというかんがえかたは本質的に誇示的であって、それが何かの具合で権力の論理にむすびつくとき、ひとをしいるものになってしまう。ホンモノの論じかたででてくるのは、きまって「真の」「ねばならない」「そうであるべきで、そうでなければならない」という物言いですが、戦後と呼ばれた時代に年齢をかぞえてきて、わたしがおぼえたことは、ホンモノをではなく、ニセモノを愛することの大切さというか、明るさです。戦争というホンモノの時代ののちに、平和というニセモノが戦後という時代をつくった。平和というのは、どうも圧倒的にニセモノが日々の時間を生き生きとさせている、そうした時代を全体としていうんじゃないだろうか。そんなふうにおもうんです。”

 

『一人称で語る権利』より。「平和というのは、どうも圧倒的にニセモノが日々の時間を生き生きとさせている」。はじめてこれを読んだときは、ぜんぜんピンとこなかった。そこから十年くらい経過したいま、とてもよくわかる。

じっさいは、過ぎゆく時間のすべてに反復の余地などなく、一回きりでしかない。今日という日はもう二度とやってこない。「私は私」でしかない。死んだ人間も動物も端的にいない。でもそんな、カイジの鉄骨渡りみたいな道行きはつらすぎる。なにもかも一発でアウト、みたいな。わたしたちは、そんなふうには生きていけない。戦時中は逆に、「なにもかも一発でアウト」に近い状況なのだと想像する。それがつまり、「ホンモノの時代」。

すべてが一回だけ。残酷さとともに、きっとそこには美しさがある。強い感情の契機がある。わたしたちは時々刻々とバラバラになる。一回性に根ざしたことばは、離別を物語る。不可能性の論理といえる。他方、繰り返しの日々には明るさがある。良くも悪くもバカバカしさがある。複数性に根ざしたことばは、つながりを物語る。可能性の論理。思考は両者のあいだをいったりきたりする。

谷川俊太郎の「私は私」という詩は、一回性の感情をベースに複数性の喜びを語っている。一連目の最後「すぐにいなくなるかもしれません」、この一行の上に諸物のつながりが描かれる。不在を念頭に紡がれる存在のお話。と書きながら、小沢健二の「さよならなんて云えないよ」を思い出した。あの歌詞も、一回性の辛気臭さと複数性の明るさが綯い交ぜになっている。つながりと離別を同時に歌う。「くだらないことばっかみんな喋りあい/嫌になるほど誰かを知ることはもう二度とない気がしてる」。

自分はどちらかというと、一回性のほうに気が触れがちかもしれない。怖がりだから。「にせのにせもの」という、虚構の破れ目にゾッと体が反応してしまう。そこから逃げるようにして、べつの可能性を、日常の反復を、他者の存在を言い聞かせる。まず挨拶とかだいじね。

そんなわけで、あけましておめでとうございます。遅まきながら。ことしもぼちぼちつづけます。なにごとか。もうなんだかわかんないけど。なにかがつづいています。このなんらかのなにかを、よろしくお願い致します。








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