“「生きること、それは空間から空間へ、なるべく身体をぶつけないように移動することなのである」。読者はこの卓抜な表現に一瞬虚を突かれ、やがて笑いがこみあげてくるのではないか。そして、私たちは「生きる」ということを偏って捉えすぎているのではないか、とも思い当たるのである。「生きること」とは、働くことかもしれないし、考えることかもしれないし、愛することなのかもしれない。辛いことかもしれないし、食べて寝ることに過ぎないのかもしれない。「生きること、それは……」というアフォリズムを思わせる言い回しは、このあとで人生についての深い真実が告げられるかのような期待を抱かせるが、実際に与えられるのは、あまりにも即物的な、身もふたもない人生の定義なのである。この落差がちょっとしたショックを引き起こし、やがてそれが笑いに変わるのだろう。しかし、よくよく考えてみると、この定義には人生の本質を突く点が含まれていることも分かるのだ。つまり、私たちの日々の活動は「空間」に深く規定されているという事実であり、そのことは「アパルトマン」の章のタイムテーブルが示しているとおりである。食事をするにせよ、入浴するにせよ、何かをしようと思ったらおのずと特定の場所に体を運んでいるのであるから、その移動の連なりこそが〈人生〉である、という定義には、それなりの真実があるわけである。それとともに、「生きること」に行き詰まり、思い悩んでいる人には、ごちゃごちゃ考えなくても、とりあえず壁や家具にぶつからないように移動できていればそれでいいんだ、立派に生きているんだ、というような励ましのようにも響くのではあるまいか。” ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間 [増補新版]』(水声社、pp.242-243)、翻訳者の塩塚秀一郎氏による「増補版に寄せて」より。 「生きること、それは空間から空間へ、なるべく身体をぶつけないように移動することなのである」。「田原俊彦を鉄アレイで殴り続けると死ぬ」もそうだけれど、わたしはきわめて表層的な即物性に惹かれる傾向がある。人々の虚を突いて、やがて「そりゃそうだ」と、あきらめたように笑みがこぼれる、そんな表現。身もふたもなさ。深さ、よりも浅さ。そこで息づく明るさ。 「見たまんま」の、ぽかーんとした物言い。ペレックが定義する「生きること」は、とてもぽかーんとしており、ま...