スキップしてメイン コンテンツに移動

日記1037

 


キングオブコント。みんなおもしろかった。梅田サイファーの新曲が聴けるのもうれしい。今大会の個人的な好みは、しずる。うるとらブキーズ。トム・ブラウン。の3組でした。

うるとらブキーズは多くの人が指摘する通り、早とちりで噛んでしまったのが惜しまれる。言い間違えが伝染に伝染を重ねグルーヴを生み出していくようなネタ。なにが間違いで、なにが正しいのかわからなくなっていく。ことばが意志に反して組み変わっていくさまを、意志的に演じないといけない。演技のむずかしそうなネタだったと思う。「噛み」はほんとうに伝染するから、細心の注意を払わなければ。じっさい、司会のダウンタウン浜田にも伝染していた(浜ちゃんも狙って噛む演技をしていたのだ!という人もいる。わたしは天然だと思う。どっちでもいいけど……)。

トム・ブラウンは出だしの「コント、エリザベスカラー」からもう最高だった。題名なんか言わずに、ぬるっと始まるのが主流のなか、ベタベタながらも唯一無二の演出。真正面から行く感じがうれしい。「このネタこういう伏線があってこうで……みたいなのあんまり興味ない」と布川さんが事前のインタビューでおっしゃっていて、その姿勢にとても共感する。わたしはバカが好きだ。ただのバカが見たいだけなのだ。

アメリカ文学研究者の都甲幸治さんが「ピンチョンを高偏差値な人々からバカの手に奪回せよ」とどこかに書いていて「イイハナシダナー」と感じ入ったことを思い出す。賢しらな考察も批評も、楽しいことは楽しいが、どうでもいいんだ。わたしは記憶よりずっと、忘却を欲する。なにもかも忘れたい。笑っていたい。重要なのは、いま。その一瞬。それだけなの。

もうすこし具体的にいうと、ことばの回路をショートさせてほしい。それが願いかもしれない(具体的か?)。ことばは自分にとって、孫悟空のあたまの輪っかみたいな、きつく抑えつけ制御する/される機能を果たしている。その言語的な縛りを常日頃、人一倍うるさく感じているがゆえに、忘れさせてほしいと願っている。

その観点でいえば、しずるのネタはまさしくセリフがほとんどない。B'zの「LOVE PHANTOM」に合わせた口パクでひたすらヤクザの抗争を演じる。ことばがぜんぜん関係なくて、ほんとうにうれしい。会場ではすべってた(?)みたいだけど、個人的にはいちばんよかった。自由を感じた。ちょうど「LOVE  PHANTOM」もリリース30周年の日だったらしい。おめでとうございます。優勝です。

自分はレイザーラモンRGの強心臓ゴリ押し一本勝負みたいなネタを偏愛しているから、今回のしずるが刺さるのは、まあそうかと納得する。わたしが審査員だとするならば、いちばん身勝手なことをしている人が優勝になる。「関係ないね」って態度で突き進む人が好きだ。「いらない何も捨ててしまおう」である。単純明解な人間かも。

ことばとの関係をいうなら、優勝を決めたロングコートダディの2本目は興味深いものだった。言語化がお好きな怪しいコンサル的キャラクターが急に撃たれて「言語化できない!」と叫ぶオチ。ほとんどの物事はそうそう言語化できない。おもしろいことほどそうだろう。

前回の記事でも書いたけれど、知っていることより知らないことのほうが膨大にある。誰にとっても。同様に、ことばにできる範囲より、できない範囲のほうが大きい。みえるものより、みえないもののほうがたくさんある。それがうれしいと思う。「知っている」と自信をもって言いうることなんか、ひとつだってない。

大袈裟な話ではなくて、これはとても卑近な話。虫の鳴き声も、肌をさわる風の温度も、月の運行も、じっさいのところは、ことばにしようがない。わたしたちは、生まれてから死ぬまで、いかようにもしようがないものに囲まれている。いや、そうじゃないって人もいるのかもしれない。それもわからない。けれど、すくなくともわたしの生きる「現実」は、そういうどうしようもないものである。

なんだかよくわからないまま、あらゆるものが勝手にまわってる。いくら話しかけても、振り向いてくれない。もちろん止まってもくれない。なんにも通じなくて、それでもときどき、ささやかにふれあう。そしてまたどこかへ行く。制御なんかしようがないのに、ときに留め置こうと必死になる。かなしくもおかしい。留め置いたつもりの距離も、やがてはほころんで、ことばはゆるやかにはぐれていく。すべてが遠のいて、それでいて賑やかで、おしゃべりはたゆみない。

今日も、たぶん明日も、世界は繰り返し、あかるくなったり暗くなったりしてる。あてもなく無為に。光をたよって、いつも、たどたどしく視線をむすぶ。どうしよう。わたしはびっくりしてる。


なんかずっと、びっくりしてる。









コメント