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日記636


直線、縦と横。斜め。少し丸み。に、傘。

呼吸が浅くなるような猫背はなるべくなおしたいけれど、いっぽうで猫背の人間がぬら~っと歩いてくる不気味さも捨てがたい。いかにも不健康そうな痩せ型の猫背が向かいからゆらゆらやってくると、やべえ奴を発見したような興奮があって、内心で盛り上がることは否定しきれないのです。

猫背って戦闘モードな感じ、あります。すぐに思い起こすのは宮本武蔵の自画像。構えが微妙に猫背気味です。そして禿げ上がっています。さらにゆらゆら歩いて三白眼だと意識が定まっていない妖しさが出て最高。酔拳のような意識レベルの低そうな格闘スタイルにあこがれます(映画でしか見たことないけど)。

武蔵以外に猫背武道家サンプルは思いつきませんが、わたしも世界を呪うような気分でいるときはふだんよりぐっと猫背になります。呪詛の姿勢です。その怪しさは、まったくきらいではないのです。呪術モード。

姿勢について、武術に造詣のある友人から少しヒントをもらいました。そっからじぶんなりに思ったのは一部の「矯正」ではなく全体の「調整」を心がける、というところ。ともすれば忘れがちな事実ですが、身体ってぜんぶつながって動くのですね(あたりまえだ)。たとえば胸だけに意識を向けて張ると、腰が反りがちになって負荷がいく。一部だけではない自然なぜんぶの均衡点を身につけて歩くこと。みたいな感じみたいな。

個体の骨格に見合った姿勢があって、たぶん「いい姿勢」はひとりひとりちがう。猫背は完全になおさなくともいい。世界を呪っていてもいい。血液がしっかりとめぐり、動きやすければいい。優先すべくは姿勢の支え方よりも、血と呼吸と体重の流し方。力の抜き方。総合的な動きやすさです。








「変わった人」という他人への評価には、3つのレベルがあります。初級は「変わった人」とよく言われる人。中級は「変わった人ってよく言われるでしょ?」とよく言われる人。上級になるとそう、「変わった人ってよく言われるでしょ?ってよく言われるでしょ?」とよく言われる人。この3つです。わたしは「ふつう」を自認しております。これでいうと中級に属します。ミドル級。要するにふつうです。上級はレジェンド・オブ・伝説。

「変わった」なんて、あたりまえではありませんか。自分も含めてみんな「変わった人」だと思う。育ってきた環境がちがうから。好き嫌いは否めない。さかのぼれば猿だし。人間は、とても変わった霊長類の集団です。「人間」という枠組みがそもそも変わっています。なにこのいきもの。へんなの。

そこまでさかのぼらずとも、乳幼児の時分と比較したってずいぶん変わってしまった。あの頃のわたしとはちがう……。もう赤ちゃんみたいにかわいくない。鏡を見ればわかる。わたしは変わった人だ。一目瞭然。そしてあなたも。「まだ赤ちゃん気分が抜けない」と言って、パンパースでさらさらケアをしているのなら話は別です。それもなかなか変わった人だけど。お尻がさらさらなら別です。

変わっていない人とは、もう変わりようがない人です。
もういない人。

「死ぬのこわいよね」と何気なく話したら、「ひとりでオーロラを眺めながら死にたいんです」とおっしゃる方がいて、うれしい気持ちになりました。理想の死に方。それを実行できればきっと怖気づくこともない。かな。「美しい」には死の成分がふくまれている。

「死」はおそらく究極の身勝手だから、理想の死を語り合うことは究極の身勝手を語り合うことなのかもしれません。あるいは理想の、じぶんだけの美しさを語り合う。どんな身勝手がしたいかなー。わたしはすぐに思いつかなかった。「ひとりがいいよね」とだけこたえる。オーロラがうまい具合に出るといい。

「オーロラ」という不確定要素を導入するところに粋を感じる。自然現象。死もおなじ、等しく自然なものだから。ぜんぜんタイミングが合わなかったら、死なずに帰るのかな。「見れなかったなあ」なんて独りごちて、ゆっくり引き返す。もうすこしだけ生きてみる。それもまた自然なこと。話しているうちに「したい」が「する」に変わってゆく。オーロラを眺めながら死ぬ。「する」の気合はちょっとこわい。でもいいと思う。理想の美しさをもって生きているひと、ですね。

タワーレコードで「ラブとポップ」という特集棚の前に、スーツ姿の白髪のおじさんが立っていた。夜の閉店間際、仕事帰りだろうか。閑散とした店内。ひとり、小太りな身体を揺らしながらラブとポップな音楽を試聴している。もうなんか、ラブとポップが溢れかえっている光景でした。止まらないラブ&ポップ。うしろから抱きしめてさらにラブとポップを注入してやりたくなった。つかまえたら試聴機のヘッドホンを片側だけ数センチ浮かせ、耳元でささやく。「なあ、ラブとポップしようや……」。ほとばしるラブ&ポップ。通報されポリス沙汰になれば、「ラブとポップがしたくてやった。誰でもよかった」とでも供述しておこう。そんなラブとポップへの熱い想いがニュースとなり全国のお茶の間へ届けられ、日本中がラブとポップで包まれるのだ。わたしが収監されても、ラブとポップは疾走する。涙は追いつけない。と、ここまで想像した0.5秒ほどの瞬間。なにもせず帰る。



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