暗闇の境で地球は白を通過する。やがてあたりは黒くなる。たぶんこの世界にある境目という境目はことごとく白い。善と悪の境も、過去と未来の境も。白にはすべてがあって、すべてがない。そこで人は視力を失う。そんな色のように思う。ことし初めに読んだハン・ガンの小説『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳, 河出書房新社)を思い出す。 もしかしたら私はまだ、この本とつながっている。揺らいだり、ひびが入ったり、割れたりしそうになるたびに、私はあなたのことを、あなたに贈りたかった白いものたちのことを思う。神を信じたことがない私にとっては、ひとえにこのような瞬間を大切にすることが祈りである。p.185 さいごにある「作家のことば」より。 白は滞留しない。すべてのものたちのあいだにあって、一瞬で通過してしまう。ひらりと過ぎ去り、またべつの色に染まる。眼窩を突く紫電一閃を境に世界が反転する。昼と夜のあいだ。現と夢のあいだ。イエスとノーのあいだ。あなたとわたしのあいだ。生と死のあいだ。 種々のあいだにある、白い一瞬の通過だけが祈りを捧ぐ契機となる。だから、それを逃さないように。注意深く境界をまなざす。ゆっくりと歩きながら。 祈りの契機とは、出会いの契機だ。わたしたちは「祈り」という瞬間の走路で出くわしていた。それが祈りのかたちであるとは知らずに。いずれまたすれ違うための祈りの中にいた。どれだけひとりきりでいても、深い暗闇の底に沈んでも、大丈夫であるように。いずれ、また。 5月25日(土) 友人に誘われ、六本木へ行く。早めに到着して、気の向くままに歩き回っていた。夏日のなか、晴天のもとでほっつき歩いていると、六本木ガレリアの付近で若い男女に話しかけられた。日本ではないアジア系の、外国の方らしかった。英語で「写真を撮ってください」と。男性に、銀色の渋いカメラを渡される。「OK!」と笑顔を見せたら、向こうも微笑んでくれた。 すごくかわいいふたり。横に並んで、背の低い女の子が男の子の肩に頭を置く。立ったまま、首をかたむけて。そんな写真を撮らせてもらう。渡されたのはデジタルカメラではなく、フィルムカメラ。その場で確認はできなかった。いい写真が撮れていますようにと願うのみ。 あのふたりのつづきを知ることはきっとない。写真を撮った、...