近所の居酒屋が朝からクレープを売っていた。しばらくクレープ屋になるらしい。わたしにとって2020年の春は、「居酒屋がクレープ屋になるほど大きな社会変化が起きた時期」として記憶されるのだろう。後世に語り継ぎたい。教科書の一文になればいい。いまこの国は、居酒屋がクレープ屋になるほどの大騒動に見舞われている。 4月30日(木) メモ。 大きくふたつ。正当化と、つぐないがある。罪への態度。なんの罪もない人としての在り方と、罪人としての在り方。人の存在様式。わたしは後者に焦がれる。カタギじゃないなって人。とはいえ、この両者はパキッと分かれているわけでもない。ひとりの人間の裡に混在する要素だと思う。状況に左右されることもある。でも、人によって傾向の差は見られる。 罪人としても、ひらきなおってしまえばそれは正当化だろう。あくまで罪を認める。そこからことばを始めたい。そこでことばが終わるのではない。処し方なく、刑に服す。しょうがない。しょうがないんだ。ここは流刑地だった。思い出した。そんな詩を書いた人がいた。地球は美しい、流刑地なんだって。 上記の「罪」と社会的な法制度はまったく関係ない。 一個の自己認識に関するお話。 あるいは信仰とか、倫理とか。 人間の読み方。 さいきん、まいにち1時間前後のストレッチをしている。家で適当に。ストレッチは、身体にかたちを与える運動だと思う。ひとつひとつの筋肉をかたちにする。くっきり。身体の深みへ分け入って。手で分けまくる。身体を分かりやすくする運動ともいえそう。 全身ができるだけ、くまなく機能すれば理想的かな。でもまだまだカタイ。難解だ。すんなり、シンプルに解けるよう片時も忘れず意識したい。自分の身体は、一生つきあう問題集みたいだ。問題だらけで、ときにまいってしまう。それを根気よく、すこしずつ解く。解けなくとも、念頭に置く。気分転換に数独をやるような感覚で。 前々から手軽なストレッチはつづけていて、ひどい猫背はなんとなく解消した。数年前より、すらっと立てる。そのぶん、背が伸びたかも。骨盤の位置とそれから、腹式呼吸を意識できるようになって大きく変わったと実感する。深い呼吸を心がけたい。 身体ってふだん、思い過ごしている。それは自分の身体にさしたる支障がなく...