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日記764


傘の先っちょについてるヒラヒラです。



多くの人はめんどくさがるけれど、自分にとってはそこまでめんどくさくないこと。それが「向いてること」なのかもしれない。でも適当にやれてしまうぶん、自分ではなかなか気がつけなかったりもする。人から指摘されてはじめて、「めんどくさい」を攻略している自分に気がつく。


きのうの日記を読み直して、足したり引いたりした。どうしても短時間で書いちゃうと雑になる。雑でもいいんだけど、雑だと気になってしまう(よくないんじゃん!)。吹けば飛ぶよな個人ブログだからといって、あまり無責任でも悪い。めんどくさいことをやっている。

 

書き直す理由を煎じ詰めると、自分でも自分が何を考えているのかわからないせいだ。最初は特に文意が不鮮明。だから何度も読み直して、自分の考えを汲む必要が生じる。作者(自分)の気持ちを考える。推敲の余地は無限にあり、わかっていない部分はつねに残る。しょうじき、誰かに教えてもらいたい気持ちがある。「ねえ、いまわたし、なに考えてると思う?」。でもこんな奴、うざすぎる。

この質問は書物にぶつけているのだと思う。

『うつ病治療 ―現場の工夫より―』(メディカルレビュー社)を読んでいて、「自分のいいたいことはこういうことだったかも」と思った。引用は精神療法界隈で「達人」と呼ばれている、神田橋條治先生による持論の要約。

 

 「文字言語というものは切り分けるものだから、本来グラデーションで流動するようになっている生理的な世界と一致している精神機能を切り分けることになる。文字言語が侵入してきて切り分けられたものに適応するように脳が機能させられていくところからいろいろな問題が起こってくる」というのが、僕の論なの。p.21


日記750で長々と書いた内容がここに凝縮されている。だいたいこんなことをわたしも考えていた。神田橋先生がもっとかんたんにいってた。生理的な世界はグラデーションなのだ。というかほんらい、世界は何も切り分けられない。文字は道具であり、便宜だ。

便宜的な自己と、生理的な自己との葛藤がある。社会生活はきほん、文字に刻まれた便宜のはからいでまわっている。便宜的な都合の割り切りに、割り切れない生理的な身体がぐるんぐるんふりまわされてしまう。そういう葛藤について、ASDの身体的特徴からあれこれ考えていた。これは多かれ少なかれ、誰にでもある葛藤だと思う。

単純な話、「眠いけど起きて会社行かなくちゃ」というありふれた葛藤だ。便宜上、割り切って飛び起きる。でも生理的には無理をしている。起床って、ゆるゆるとしたものだと思う。これは人によるのかなー。わたしの場合、30分くらいかけてゆっくり起き上がるのが理想的。でもそんな時間のある日はほとんどない。

『うつ病治療』は座談会の書き起こしで、専門的な部分もあるけれど専門書よりは読みやすい。不勉強ながらほぼはじめて神田橋先生のことばに触れ、やはり「達人」はすごいと思うことしきりだ。たとえば、薬を減らすときの細かな工夫におどろく。


 僕は、「いまから薬を減らしてみようと思うので、ニッパーを買ってきなさい」と。「錠剤を半分に切るためのものだから、手芸用のニッパーがいいですよ。包丁だと、錠剤を切った時にどこかへ飛んでいったりするからね」って。それで半錠ずつ減らしていくんだけど、同時に、上手にニッパーで半分に切れるようにトレーニングもする。うつ病患者というのは、熟練する、上手になるという志向ができれば、それがポジティブ・フィードバックになるような人が多いです。名人と言われるような人は、大抵うつ病になるような人です。技術の向上が重要な意味合いを持っているようなパーソナリティの人。そういう人に、ちょっとシンプルな精神療法を試みているんだ。p.63

 

多分に実験的なやり方ではあるが、読みながら唸ってしまった。達人は、ちょっとしたことのトライ・アンド・エラーを絶えず繰り返しているのだと思う。そこから方法を模索していく。「好奇心は脳の食欲」みたいな、類比の巧みさにも感心する。個人的に、アナロジー大好きなので。いろいろおもしろい本です。

 

 


 

4月13日(火)


満員電車のなかで、目の前にいた白髪のおじさんが山口周の『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)を読んでいた。丸見えだったので、いっしょに読んだ。「私たちはどこにいるのか?」という章タイトルから、マーティン・ルーサー・キングの『黒人の進む道』(明石書店)を思い出した。この本の第一章は「われわれはどこにいるのか」だった。ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」も連想した。そして石嶺聡子の「花」が頭のなかで流れて「どこどこ行くの」と車窓も流れていった。










コメント

anna さんのコメント…
更新が早くてなかなかレスが追いつきません。

前も書いたかもしれませんが、「できない」ことを突き詰めていくとほとんどすべての場合が「めんどくさいからやらない」って理由に行きついてしまうって、どっかで聞いたことがあります。ということは「好きこそものの上手なれ」で得意で好きなことや向いていることは「めんどくさい」とは無縁になるんでしょうね。(と勝手に納得。)

あと、私は眠いけど起きなくちゃいけない時は、朝ご飯に食べようと思ってる表面がカリカリしたフランスパンのバゲットに、バジルソルトを入れてちょっとしょっぱくしたオリーブオイルをつけて食べる時の味を想像するとすっきり起きれます。眠気より食欲だあ。

nagata_tetsurou さんの投稿…
読むだけでも骨が折れると思うので、たまにでも大丈夫です。ご無理なさらず。笑

めんどくさくないことなんて、ないんですよね。気を抜くと、食事でさえ「めんどくさいな」と思います。でもなんとかやってく。なんとかなるから。これは「めんどくさい」の対義語です。なんとかなる。みんな「めんどくさい」の壁を突破してなんとかやってる。

個人的には突破するより、壁にもたれている人の横顔が好きです。

わたしは朝起きるために一時期、ダサい服を着て寝ていました。ダサいから早く起きて着替えたくなるの。眠気より美意識、みたいな。毛玉だらけの祖母の服を着てた。でもけっこうダサい服にも慣れちゃって、効果が長続きしませんでした。ダサくてもいいや、眠い……と。美意識は眠気に勝てませんでした。

それにしても、おしゃれな朝食ですね。
わたしは朝食抜き派です。