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日記842

 

先週ようやくワクチンを打った。1回目から副反応でダウン。2回目が思いやられる。しかし打ってくだすったお医者さんの技術には感動した。「チクッとしますね」と言うタイミングが刺すと同時かすこし遅いくらいで、ほとんど不意打ちに近い。「針が来る!」と意識させる前に打つ感じ。構えさせない。打たれたほうとしては「あ、もう終わり?」みたいな。刺された痛みは無いにひとしかった。

剣術の達人に首をはねられるのも、こんな感じなのかもしれない。自分の首が切断されたことに、あとから気づく。あるいは、プロボクサーに顎を打たれるのもこんな感じかなぁ。ぜんぜんわかんないうちにノックアウトされている、みたいな。なるほど達人は痛覚の速度を超えてくるのか……。などと考えながら待合スペースでの15分を過ごした。

その後、じわじわ打たれた箇所が痛んできた。翌日は風邪っぽい症状に見舞われ、満足に動けず。頭痛、発熱、悪寒、関節炎など。寝込みに寝込んだ。「寝込むしかない」と思えると頭の中がクリアになる。寝込むしかないから。「あれやんなきゃ、これやんなきゃ」といった雑念が止む。へんな話、自殺すると心に決めた人も似たような感覚なのかもしれない。晴れやかな気持ちで、「もうなんにもしなくていい」と。死ぬしかないから。

『「死にたい」に現場で向き合う 自殺予防の最前線』(日本評論社)という本に、精神科医の松本俊彦さんがこんなご経験を書いている。自殺した男性患者を最後に診察したときのこと。

 

そのとき、筆者はうまく言語化できないものの、ある種の違和感のような感触を覚えたのだった。というのも、この数年、渋面しか見せなかった患者が、その日に限って不思議となにか悟ったような、吹っ切れた表情をしていたからだ。pp.13-14

 

「死にたい」もしくは「死のう」という気持ちは、どこか薬のように作用する面もあるのだろう。「終わり」が何よりの希望になる。しかし、ほんとうはなにも終わらない。いつかの過去記事に書いた。

 

ほんとうは、なにも終わらないのだと思う。自然は終わらない。「終わり」は、きわめて人工的な概念だ。人間的ともいえる。文明的というか。箱庭的というか。完結性がないと不安になる。なんにでも期限がある。と思い込んで、汲々として、かつ安心している。期限によって社会は顕在化する。

日記738

 

自分で書いたことだけど、ずっと気になっている。「終わり」は虚構の線。なんでこんなことを思ったのだろう。わからない。これはこれで希望的な話か。終わらないものに対する感受性も忘れたくはない。

自殺は「する」ものだ。生きていると、あれこれやることが多い。タスク管理に追われる日々。その思考様式が高じると「死」さえもタスクに組み込んでしまうのかもしれない。生きることは、目の前のタスクをこなすこととイコールではない。死ぬこともまた同様。

仕事をこなそうがこなすまいが、心臓は勝手に動いている。時が経てばやがて死ぬ。それも勝手に。そもそも勝手に生まれた身である。あらゆる行動の理由は「知らん」。そう言い切れるふてぶてしさがわたしのなかにはある。

死ぬと決めたら、「もうなんにもしなくていい」。これはタスク管理思考の最終形態ともいえよう。生真面目な考え方の陥りがちな隘路なのだろう。

「寝込むしかない」と決めて思考がクリアになった自分にも、タスク管理思考は染み付いている。すこし休んで、いてもいなくてもおんなじである気楽さを感じた。「する」ばかりでは息苦しい。『坐禅は心の安楽死』という横尾忠則の本を思い出す。生きながら死ぬ方法はある。わざわざ一気に死ぬ必要はない。ちょっとだけなら、いつでも死ねる。ちょっとだけ。

生きているということは同時に、すこしずつ死んでゆくことでもある。なにかをすることは、そのほかをしないことでもある。アホみたいな話。論理は片面だけを照らしがちだけど、ものごとはなんだって両義的だ。うまくいえない。割り切れない居心地の悪い感覚だけを寄る辺としたい。

いえることはほんのわずか。いえないことのほうが膨大にある。そこを忘れると、世界が狭い箱庭に閉ざされてしまう。

 

 

体調を崩すと、嗅覚・聴覚・視覚が過敏になる。調節するためのツマミがバカになる感じ。ぜんぶフルボリュームで入ってきてしまう。ふだんは脳味噌が勝手にフィルターをかけているんだなーとわかる。必要な情報だけを拾うように。

2回目のワクチン接種後は、認知的な変化を中心に観察しようと思う。1回目はなんとなく過ごしてしまった。せっかく体調を崩すので、そのとき体はどういう反応を示すのか。詳しく見ておこう。貴重な機会と捉えて。

 

コメント

anna さんのコメント…
ワクチン打ちましたかあ~。私は職域接種だったのでモデルナで、1回目は腕が痛いだけで、2回目は39度熱が出て真夏に寒くて震えてました。
不思議なことに熱が高くてもお腹がすいて食欲旺盛で意外と元気でした。でも、これでちょっと安心ですかね。
あ~、早く華やぎたいです。
nagata_tetsurou さんの投稿…
39度はとろけますね。こちら、2回目は今月末です。ファイザーの。副反応どうかな。意外とないかもしれません。「なんともなかった」という友人が多いので……。それを願う。おなじ注射でも人によって反応に差が出るの、おもしろいですね。ちがう体なんだなーとあたりまえのことを実感します。

いいですね、「華やぎたい」。あまり聞かない表現です。わたしも華やぎたい。「華やぎ」という単語から、ちらし寿司を連想しました。どっかのお店にあった気がする。華やぎちらし寿司。和食によく使われることばですね。お寿司を食べたい欲望のあらわれでしょうか(笑)。いえ、お寿司はいつでも食べたいものですね。