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日記891


3月19日(土)

午後から、京橋にあるアートスペースキムラASK?へ。中村恭子×郡司ペギオ幸夫「立ち尽くす前縁・立ち尽くされた境界」展というやつを観に、なんとなくふらっと。考えなしにほげーっと観て帰るつもりだった。しかし、アーティストがおふたりとも在廊中でそういうわけにはいかなかった。まさか、いるなんて……。うれしい反面、非常にどぎまぎしてしまった。完全に油断していた。

いま思えば、きょうが展示の最終日だったし、土曜日ということもあり、いる可能性は考慮しておくべきだった。とくに郡司さんとお話できると知っていたなら、事前に質問のひとつやふたつ用意していたのに……。「カブトムシ」にいたく感動しました!みたいな、適当な話しかできなかった。とはいえ、本から得た感動を著者に口頭でお伝えできる機会なんてなかなかないと思うので、それだけでもよしとしておく。

郡司さんは「カブトムシ」から派生して、「ジャバラ!オカネ!モグラ!」というお話(大意)をしてくださった。その話にも、よくわからない感動があった。わたしは「モグラ……」と小声で反芻しながら、「詩を読んだときに得られる感動と似ています」とこたえた。妙な会話だった。

日記887に書いた、「ときめき(=コミュニケーションの入り口)」についてお聞きしたかったと帰り道に思う。「トラウマ」と表裏をなすんじゃないかと。これはおそらく、今回の展示にも「カブトムシ」にも関連している。ほかにも、研究とアートの相違点や類似点について、デジャヴとジャメヴについてなど、あとからあとから質問が浮かぶ。

しかしその場で郡司さんにぶつけた質問は、「朝からいるんですか?」といった空虚なものだった。そのときの自分には、「いる」という事態がセンセーショナル過ぎたのだ。なんでペギオおんねん!と。そりゃいるさ。冷静に考えれば、ぜんぜんおかしくない。

別室の中村さんとは、「どうも」とだけことばを交わして逃げるように退出した。もしかしたら失礼だったかもしれない。申し訳ない。ご本人在廊トークが苦手だ。どちらの展示もおもしろかった。観るだけではなく、読みごたえもあった。客はひとまず立ち尽くすことしかできない。あるいは、逃げ帰ることしか……。

 

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