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日記914


7月24日(日)

セブンイレブンでセルフレジの指導を受けた。セルフだと気がつかず、ぼーっと突っ立ってしまう。店員さんがやってくれていたときは、ぼーっとできた。油断ならない。哲学者の千葉雅也さんがtwitterに書いていた、「資本による労働の無償アウトソース」ということばが脳裏をよぎる。店員さんといっしょに労働を済ませ、セブンをあとにした。

ちょっと前、千葉さんのツイートがきっかけでサイゼリヤの話が騒がしかったけれど、わたしもくら寿司に行った感想として似たような角度から書いていた(日記752)。

「家畜の管理システム」などと……。くら寿司たのしいよ。こどもは大喜びだよ。「まるで養鶏場のニワトリ気分」だなんて、ひどい。しかし、このブログは炎上しない。なぜなら、読む人がめちゃんこ少ないから。1日のアクセス数はだいたい「5」くらいで安定している。ほとんどいつも反響なし。「世界がお前に無関心なことは、むしろお前にとってラッキーなことだとは思わないか?」という護法少女ソワカちゃんの歌詞を噛みしめる。うん。

ちなみに、話題になった千葉さんのツイートは以下。

 

 

読み方はいろいろある。わたしは第一に、「寂しい」というワードが重要だと思う。寂しい。論理ではなく、感覚を書いている。生きてきた年月の上に打ち立てられた感覚なのだろう、と想像する。論難するにしても、まず感覚の共有がなければ伝わらない。ロジック以前の感覚が重要。わたしはそう考える。

そして「感覚の共有」は、かんたんにできるものではない。時間がかかる。長い年月を経ても、何ひとつ共有できないことだってめずらしくない。ことばは、そうやすやすと伝わらない。それはそれでいい。皆がバラバラに感動し、なにも伝えられぬまま死ぬ。そういうものだ。

そういえば、ことしはヴォネガット生誕100年だという。書店でフェアをやっていた。日本共産党も創立100年らしい。1922年生まれ。森鴎外は没後100年。山本貴光さんのinstagramできょう知った。『ピーナッツ』のチャールズ・M・シュルツも生誕100年だった。

ついでにこれもinstagramできょう知った、水曜日のカンパネラの「エジソン」という曲。22時ごろ散歩に出たら、高校生くらいの男子ふたりが熱唱していた。「エ!ジソン!自尊心!」と盛り上がっており、ほほえましかった。こんなところから活力をもらえる。数十分前に知った曲だったので、びっくり。 

イヤホンでPodcastを聞きながら夜の散歩、この時間がもっとも幸福かもしれない。風が心地よかった。蝉の孵化を見る。世界の生成に立ち会う。「見える」ってこんなにすごいことだったんですね、とイヤホンから声がする。孵化したばかりの白い蝉に、いまこのときはどのように映っているのだろう。しばらく蝉を眺めていたら、蚊に刺されてしまった。かゆみを我慢しながら帰る。

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