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12月, 2024の投稿を表示しています

日記1029

いわゆる「傾聴」にはなんやかんやメソッドがあるけれど、むずかしいことではなく、じつは多くの人が日常的に実践していることなんではなかろうか。しかし、それが「傾聴」と呼ばれることはない。それはなにか。フィクションの受容だ。 たとえばアニメのポケモンを見るに際し、「あんなモンスター存在しねーだろ」といちいちケチをつける人間はたぶんいないだろう。カプセルから“ピカチュウ”なる黄色い小動物が出現し、「ピッカー!!」などの奇声を発しながら電撃を放つ、現実に展開したら恐ろしすぎる光景も「そういうもの」として受容できる。めっちゃ空想的だけど、「空想だ」と揶揄する人もいない。それはそれ、として楽しめる。つまり、リアリティが混線しない。 ここに傾聴的な態度があると、わたしは思う。 一方でこれが目の前の他者となると、リアリティの混線が起こる。自己の主観的な基準を手放すことなく、ある程度の同質性を期待してしまう。自分とはまるでちがう身体をもって、まるでちがうものに触れ、まるでちがうことを考え、まるでちがう時間を生きているあなたは、こちらからすれば及びもつかないひとつの虚構のようなものだ。実在しない、という意味ではない。あなたについて、わたしは想像することしかできない。容姿、ふるまい、コミュニケーションなどの断片をもとに、人物像を思い描くだけである。その意味において、虚構的だと感じる。わたしもまた同様に、あなたからすれば想像の産物だろう。わたしの目の位置から同時に世界を眺めることは、かなわないのだから。どんなに近づいていようとも、重なることはありえない。 人間の“現実”は想像的なものに多くを負っている。キリストも仏陀もムハンマドも、いまとなっては想像するしかない存在だ。それでもなお“現実”に影響を与えている。「リアリティライン」はフィクションの分析に使われることばだが、“現実”においても異なるリアリティラインが幾重にも錯綜しているようである。わたしにはそう思えてならない。 不信の停止(willing suspension of disbelief) という概念がある。イギリスの詩人・哲学者、サミュエル・テイラー・コールリッジが確立したとされる。あるいは、雑に並置してしまうと 好意の原則( principle of charity ) も似たような話かもしれない。なにか「他なるもの」を解するに...

日記1028 『イルカと否定神学』

斎藤環『イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか』(医学書院)を読み終えた。オープンダイアローグという対話による心理療法の思想的概説書、みたいなもの。この本について、あるいはこの本から連想したアレコレについて、適当に書いてみたい。 共通感覚(common sense)が「回復」の要かなとわたしは思っている。ようするに、特異化し過ぎ/され過ぎた部分をどんなかたちであろうが自他ともにフォーマライズする/される/できるようになることが「回復」と呼ばれるのだろう、と。ごく大雑把に、ごく単純に……。「ひらかれた対話」がそれに資することは想像に難くない。 自分なりの観点から読み換えるなら、『イルカと否定神学』で詳細に検討されているベイトソンのターム、「コンテクスト(文脈)」が共通感覚の構築過程に寄与するのだと思う。「ふつう」などの漠たる概念は多分に文脈依存的だろう。 たとえば、アルコール依存症は広い社会の文脈では特異化されるが、依存症者の集まるピアカウンセリングの場ではそれが「ふつう(フォーマルな肩書き)」として機能する。そうした場に身をおくことで、当事者はそれぞれのことばの動因を得ることができる。そこで醸成されたことばの運動力が徐々に「回復(自己のフォーマライズ、主体化と言ってもいい)」への足がかりとなっていく。 場の文脈や、個々の人間が持ち寄る文脈はことばを賦活するうえで非常に重要な鍵となる。ベイトソンが提唱した「コンテクスト」には複雑な含意があるようだけれど、ここではだいたい「文脈」でいいことにしておく。が、いちおう『イルカと否定神学』から説明を引用する。「複雑な含意」の雰囲気だけお伝えしたい。 “ちょっと回り道になりますが、文化人類学者のグレゴリー・ベイトソン(1904 - 80年)が提唱した重要な概念に「コンテクスト」があります。ベイトソンによれば、刺激のコンテクストとは「 基礎的信号を分類するメタメッセージ 」ということになります。  ちなみにベイトソンは「刺激のコンテクストのコンテクスト」について「メタメッセージを分類するメタ・メタメッセージ」といっています。ちょっとわかりにくいですが、ベイトソンがあげている例を見てみましょう。  芝居のなかで殺人事件が起こりますが、だれも警察に通報しません。なぜでしょうか。劇中の人間関係のコンテクストは、さらに「芝居」...