8月17日(日) 午前中、スーパーで買い物。急にちいさな女の子がダブルピースしながら「カニ!カニ!」と迫ってきた。やや動揺しながらも、とっさにカートから片手を離し、こちらもピースで「カニカニ」と返す。「カニ!カニ!」「カニカニ」と、すれ違いざま2往復した。近くにいた親御さんから「すいません」と謝られ、ほほえんで会釈。そんなひとコマがあった。 ひさしぶりに人間との会話が成立した気がする。カニカニ言い合うだけのやりとり。これぐらいが自分の身の丈にはちょうどいい。カニカニ以上の話は高度すぎてなにを言っているのかわからない。このごろほんとうに、人々がなにを言っているのか、日増しにわからなくなりつつある。 しかし、あの子の「カニ!カニ!」は完璧に通じた。なんというか、魂がこもっていた。こちらも気圧されるように「カニカニ」で応じた。すると、うれしそうにまた「カニ!カニ!」と全身を使い、大声でこたえてくれた。こんどは喜んでこちらも「カニカニ」とやわらかく伝えた。心から通じ合えた気がする。 人との会話なんて鳴き声みたいなものでじゅうぶんではないかと、本気で思ってしまう。「ほえー」とか「にゃー」とかで、じつは日常会話の8割くらいは代替可能なのではないか。なにより、そんなに意味のあることを言わないほうが、平和である。いや、鳴き声ばかり発するおっさんはさすがに気持ち悪いか……。長嶋茂雄みたいな天才っぽい人なら、オノマトペ多めでも許されそうではある。あるいは不思議ちゃん的な雰囲気の人。 そういえば、ときどき不思議ちゃんみたいな扱いを受ける。じっさい、わたしの日常会話は6割くらい虚ろな表情で「ほえー」とか言ってるだけだ。それで事足りるのであればじゅうぶん。余計な話はしないに限る。 余計な話をあえてするなら、人間みんな不思議ちゃんである。直立二足歩行でヨタヨタ歩き始めるあたりから、だいぶ不思議である。「ことばを話す」なんてのは、不思議の最たるもの。鳴き声を駆使するほうが自然界では遥かにふつうなのだから。「カニカニ」の応酬で心を通わせるほうが生物としてはスタンダードに決まっている。こちらからすれば、めんどくさい会話に明け暮れる人々ほど奇異にうつる。 と、こんなふうに無駄な抗弁を始めると争いの火種になってしまう。「お前は人間ではないのか?」などと突っ込まれそう。「お前の混ぜっ返しのほうが...