9月18日(水) 菊地成孔さんと名越康文さんの対談をみる。かれこれ「vol.13」らしい。twitterで告知にふれて反射的にチケットを買った。過去にいちどだけ、ずいぶん前に参加した記憶がよみがえる。初期のころ。「そんなにやってるんだ」と、すこし驚く。好評なのだろう。なにしろおもしろい。 拡散的で開放的なおしゃべり。頭の中に広い空間をつくってくれる。芝刈り機でブンブン掃除してもらえるようなイメージ。視界がクリアになった。内容についてはふれない。なんとなくの印象だけを残しておきたい。 名越さんは最初から最後までひとりでたのしそう。「自分のたのしさに他人は関係ないね!」といわんばかりのストロングスタイル。安定してテンションが高い。高め安定。でも、ちゃんと会場の反応を気にするそぶりも忘れない。散逸しがちな話の流れも要所要所でもとにもどす。 たびたび足をバタつかせて大笑いする、そのお姿がとても印象的。こどもみたい。きっと、どんなシチュエーションでもいかなる関係であっても態度がさほど変わらないタイプのように思う(そうだといい)。 なんでもたのしめる。それが「こどもみたい」の個人的な定義。「こども」といっても、危うさはぜんぜんない。むしろ安心できる懐の深さ。こども心をおおきめの懐でぴょんぴょんあそばせているおとなだ。そんな精神性につられて、しぜんとこちらもたのしくなる。 菊地さんは、秋のよそおいだった。 人混みで傘はささない。身動きがとれなくなるし、傘同士がなるべく接触せぬよう気をつかって神経がすりへる。濡れたほうがよほどラクだ。どしゃ降りだってかまわない。傘を閉じて早歩きで人混みをさっと抜ける。すると妙な爽快感をおぼえる。これはエスカレーターの行列を尻目に階段を軽快にのぼっていくときの感覚と似ている。 幼いころから、エスカレーターに乗らなかった。階段を選びたがる。物心ついてから現在までそう。親に奨励された記憶もない。生得的なのかな。この気質はなんだろう。みずからの足で移動できないと直感的に気持ちが悪いのだと思う。ムズムズする。 どこか「いち抜けたい」みたいな気分もある。抜け駆けしたい。エスカレーターより早く上に到着して、ひとりで待つ。そのほんのすこしのなんでもない時に息をつく。だれかと歩調をあわせることが苦手なのだろう。...